yoshi.s
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それぞれに道は違えど富士の山 集うは楽し心一つに (マリー5) 暫くすると遠吠えは次第に小さくなって行った。 そしていつの間にかひとりでに鳴り止んだ。 その瞬間、驚くべき静寂が訪れた。 唾をごくりと飲み込んだだけでも壊れてしまいそうな繊細な緊張感。みんながその静寂を共有している。 破ろうとする者はだれもいない。その静寂が壊れるのを恐れてさえいることが分かる。 だれもがその静寂を味わっているのだ。そのことをみんなが分かっている。それが分かる。 *下につづく
「マリーは朝陽に 富士と輝く」 でいかが・・・? それにしても終わりのない旅に出たような雰囲気がしてきました…(^.^) 小松左京のSFを読んでいるようで面白いです…(^.^)
2017年11月05日19時24分
岩魚さん 頂きました。 はは、Never Ending Story ですか。 もっと長いのもありますよ。 ご興味があれば、写真掌編タグを押して、『桜の下で』全23回をご覧下さい。 小松左京の名が出て来たのでは、お尻がむずむずし過ぎます。
2017年11月05日22時15分
旅鈴さん 五番街といえばニューヨークのマンハッタンを思い浮かべますが、”あの歌” の詩の内容からするとそうではなさそうです。NYCの五番街は、昔からの人が住んでいるような街ではないし、マリーの家があるはずもありません。 しかし、”あの歌” はモチーフの一つです。 このマリーは、サンフランシスコのレヴンワース・ストリートに住んでいたのです。タグのmyマリーの1をご覧下さい。
2017年11月06日23時13分
yoshi.s様、 マリー1を読み返しました。確かに、そうでした。 アメリカは行ったことが無いのですが、そこにも同じ人間が居て、同じように悩んだり、 喜んだりして生きているのですよね。 だのに、同じ土地続きでメキシコとの間に壁を作ろうとするのは、悪い冗談に思えます。 すべての人を受け入れ、能ある人が成功を収める、サクセスストーリーはもう今のアメリカにはないのでしょうか。
2017年11月06日23時58分
旅鈴さん 物事は、混沌→自由→秩序→統制→支配→解体のサイクルを繰り返します。 日本は終戦によって解体され、戦後の混沌を経て、経済成長時代の自由期、そして現在は秩序期にあると思います。しかし少しずつ統制の足音が・・。 自由の国アメリカもすでにその自由期は過ぎ、経済原理による秩序期すらも過ぎて、トランプ大統領によって統制期に入ったと言えます。これは何もひとりトランプ氏の問題ではなく、国民の多数がそう望んだのです。アメリカ・ファーストです。したがって、誰でもがアメリカに行って一旗を揚げるという時代は終わったのです。 これは先進諸国の世界的な現象で、ヨーロッパもまた然りです。 人間としては、自由期から秩序期(自ら秩序を生み出す)ごろが理想だと思いますが、多くの場合、富の偏りによって秩序が乱れます。するとその秩序の乱れを統制しようという動きが起こります。 この時に、富の偏りをなくそうという動きが起これば社会主義的な統制となり、偏った状態を維持しようという動きであれば権威主義的な統制となります。 昔は力づくでしたが、今は政治的あるいは法的手段によってです。これは良い方法です。 問題は、それを選ぶ国民の意識にあります。
2017年11月07日12時06分
yoshi.s
*つづき 全員の動きが止まっていた。自分が感じていることとみんなが感じていることが一致している。不思議なことにそれが分かる。 みんなと自分の区別すらもなくなっている。 僕たちはその場の全員と、そして夜空と、いや、宇宙とすらも一体となっていた。だれもがそれを感じていた。 その時間はしかし、それほど長くは続かなかった。 誰が言うでもなく、その緊張はひとりでに解(ほどけ)けた。自分の緊張が解けたと感じたとき、みんなの緊張も解けたことが分かった。 どこからともなく拍手が起こった。 その拍手が一つになって、やがて歓声に変わった。その歓声は竜のように夜空に上っていった。 月は相変わらず天上に輝いていた。 *つづく
2017年11月05日18時32分