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Grand Seiko
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METALドラムを叩いていた時代(←下手糞w)・・・ 回り道&増設に次ぐ増設で、あっという間に100万円\(^o^)/ シンバルの感触、音にどうも馴染めず40万円程で売却(Lレンズに化け) スネア、タムは50種類程度音色を変えられる点で生より利点。 シンバルだけ全てZildjian、その他電子ドラムが最強。 道東の山奥一軒家ないしオーダーメイド地下室が必要ですね(笑)
YD3氏、コメントありがとうございます。 売却分も含めると、趣味に4ケタ万円行きそうな気がします笑 私なりにスタジオ借りる(料金&交通費&時間)を考慮すると、 電子ドラムの方が高コスパでした。期待より少しリセールバリューは低かったですが^^; 見方次第では、人が本当に”幸せ”を感じるのは余剰消費(無駄遣い)だとも言えますね。 『禁欲と強欲 デフレ不況の考え方 / 吉本 佳生、阪本 俊生 (著) 』引用 人間とは文化的な生き物だ。人間にとって文化は、生きる意味を与えているのだ。 その文化が過剰な「消費」から生まれてくるということは、それが人間にとって 生きる意味の源泉だということだ。「人間が本当に生きていると感じられるのは、過剰や余分を消費することができるからである」 人間は何故働くのか? 恐らく、必要以上の消費を増やすため、即ち更にもっと余剰消費を行うためであったと考えられる。つまり生きて行くためではないのだ。単に生きるための必要を満たすだけならば、他の動物と同じでも良かったはずである。 人間が働き始めたのは、余剰を消費し、遊び、そして文化を作り出すことであったと考えられるのだ。 むしろ消費が、一定の強制力をもって人々に労働させるようなシステムが、近代の生産システムだと言えるのだ。 何を消費するかで、その人が何者であるかが決まって来るのだ。 その背後にあるのは、自分が何であるかを確定させるための、アイデンティティ・ゲームなのだ。社会の中で自分がどう位置づけられているか、また他人からどう見られているか、この人間の激しい情念の活用が、近代の個人消費のエネルギー源だと言える。
2017年07月30日23時36分
しろたん。氏、コメントありがとうございます。 SLAYERは中二からGTA Vice Cityで聴いて悶絶していました笑 それからCannibal Corpseに出逢い、デスメタル中毒(^ω^) 技巧ドラマーというと下記が浮かびます。 ・Cryptopsy ・Disavowed ・Funeris Nocturnum YD3氏、ありがとうございます。 大学時代は暇潰しにビジネス&自己啓発書籍を1000冊は読みました笑
2017年07月31日14時30分
Cannibal Corpse!!(笑) 私のライブ歴の最後を飾るのが、新宿リキッドルームで 見た彼らのライブです。Cannibal Corpseで終わってる 状態が何か好きです(笑) 武道館で見たRUSHのNeil Peartのドラムも凄かったですよ。
2017年07月31日22時27分
Cannibal Corpseのライヴを私も観たかったのですが、 飛行機まで乗るのが面倒で辞めてしまいました(笑) 無論、音源は全てコンプリート、BOXも持っていました。 あの頃は音源収集が趣味(300万円以上)で、ライヴが興味無かったこともありますが。 よく屍体祭りにならなかったレベルですよねw RUSHは聴いたことすら無かったです^^; 基本、有名バンドはブラック、デスメタル除き全く聴かない捻くれ者(笑)
2017年08月01日23時41分
YD3
相当無駄遣いしてますね。 という私もですが...(苦笑)
2017年07月29日21時26分