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鉄橋を見に餘部へ行った時の写真。 嬉しそうに孫に語りかけ、それにちょこちょことついていく姿が微笑ましかったです。 おじいちゃんっ子だった小さい頃、盆に祖父のところに行った時は、こんな風に出かけてたなぁ…と。 モノクロ変換、コントラスト上げ。
あ~ぁ!このシーン好きですぅ~♪ 虫かご持った子供と網をもったお爺ちゃんの後ろ姿・・・・ モノクロが昔の思い出を蘇らせてくれます♪ ありがとうございます(^.^) 餘部鉄橋を撮りに行かれたのですか・・・ いいなぁ~♪
2010年07月24日21時59分
>華さま コメントありがとうございます(^^) こういう写真撮れると、自分自身もちょっとほっこりしますが、 いかんせんヘタレな私はいつも躊躇してしまう…。 わ、私どちらかというと多分、お祖父ちゃんにそういう贔屓を受けてた立場でした(^^;; しかしそこまで露骨だと少々子供ながらに引きますよね…。 今、いい思い出と笑うことができること、それが大事だと思います。
2010年07月25日02時48分
>清水清太郎さま コメントありがとうございます(^^) 親として祖父母として、子に対して行える最期の『教育』が、自らの身体を以て『死』とは何か、を教えることだと言います。 昔は孫として祖父母からまずは漠然とした感覚としてそれを学び、自分の親から確固たる 『死生観』を学びとるのが自然な流れだったのですが、 核家族化が進んでいるこのご時世、それが自然に出来るものではなくなってきています。 この写真に写った孫が祖父のその死を目の当たりにする時は、死亡率100%を回避出来ない現状ではいつかやってくる。 その時に、その『死』から何かを学び取ることができること、それはある意味幸せなことなのかも知れません。 清水さんのコメントから、そんなことを悶々と考え出しておりますが、 そんな思考を刺激することができるような写真を撮ることが出来たのは、光栄に思う次第です。
2010年07月25日03時36分
>TR3 PGさま コメントありがとうございます(^^) 思い出はモノクローム、と歌ったのは大滝詠一でしたっけ。 こういう場面に遭遇すると、小さい頃の自分を投影してしまいますよね。 そういう記憶は多分、多くの人が共有しているものなのだろうと思います。 餘部鉄橋は、次の電車まで2時間待ちになって周囲には何もなく、 時間つぶせるんかなーと友人と不安がってましたが、色々撮ってたらあっという間に過ぎてしまいました。
2010年07月25日03時45分
>やまびさま コメントありがとうございます(^^) こういう瞬間を切り取るのって、なかなかタイミング狙うのが難しいですね。 この写真もカメラを向けた途端お爺さんのほうが振り返って、 しばらくこっちを見ていたので鉄橋を眺めるふりしてやり過ごし、 再び歩き始めるのを待っていました…(^^;;
2010年08月01日23時01分
†Hana†
私、この写真好きだわぁ(*´ェ`*)ポッ 弟ばかり可愛がる、お祖父ちゃんは嫌いだったけど(爆) 酷いんですよ(´・ノω・`)コッソリ うちのお祖父ちゃん、私と近所に住む従弟にはお菓子くれないで、 鍵かけて、弟にだけやるのwwwww 酷いでしょぉ(爆) 今では、思い出ですけどねぇΣ(ノ∀`*)ペチン
2010年07月23日19時07分