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「旧新田橋」 大正時代、木場5丁目に医院の開業をしていた新田清三郎さんが、昭和7年に不慮の事故でなくなった夫人の霊を慰める供養の意味をこめ近隣の住民たちと協力して架けられた。当初は「新船橋」と名付けられていたが「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになったそうです。