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天生の高層湿原植物群落と伝説

天生の高層湿原植物群落と伝説

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    ここが天生湿原です。 岐阜県の天然記念物になっています。 あたりの木々はすっかり葉を落とし、湿原も冬の準備がすんでいるようでした。 さて、こんな山の中に真っ平らの広い湿原・・・その存在そのものが不思議なのですが、やはりこういった場所には伝説がつきものです。 実は、この場所・・・「匠屋敷」といい、祠が残っており伝説が・・・。 その伝説とは・・・コメント欄へ 撮影時間:12時55分

    コメント1件

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    伝説とは・・・  飛騨河合村(現飛騨市河合)と白川村の境界にある天生峠(あもうとうげ)。その近くにちょこんと尖った籾糠山へは天生峠から登ります。 籾糠山の名は、飛騨の匠のルーツ「鳥(とり)仏師」に関係しています。河合村の伝説によると、鳥は神通力で木彫りの人形に魂を入れて水田を耕作させました。秋には臼で籾をすり、玄米と籾糠を風で分けたところ、籾糠が毎年うず高く積もって籾糠山になりました。  伝説の鳥とは、飛鳥時代、都から木材調達のため、飛騨にやってきた帰化人と地元の娘・信夫(しのぶ)の間にできた子でした。その子は都に上って仏師・鞍作鳥(止利)になりました。そして、推古天皇の御世31年(623年)、法隆寺の有名な釈迦三尊像の制作を命ぜられました。また天生湿原は、匠屋敷とか田形とか呼ばれ、鳥の住居と田んぼの跡といわれます。他に、信夫(しのぶ)はたいへん醜い娘で、川に映る月をすくって飲んだら、鳥を身ごもったという伝説もあります。河合村月ヶ瀬はこの伝説にちなんだ地名です。  一方白川村のほぼ同じ内容の伝説では、鳥にあたる人物は山姥の子でした。その子が飛騨の甚五郎(左甚五郎)となりました。左甚五郎は、江戸時代の初期に数々の有名な彫刻を残したとされる人物で、実在したかどうかはわかりません。全国的に有名な代表作は日光東照宮の眠り猫などです。左甚五郎の名は左ききであったためといいますが、飛騨では飛騨の甚五郎のことです。鳥仏師も左甚五郎も「飛騨の匠」の流れをくむことは同じです。

    2016年11月20日20時18分

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