yumetaro
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現在は廃墟として観光スポットになっているが(世界遺産にも登録された)、当時ここに住んでいた 人々はここを訪れることがあっても決して建物の写真を撮らないのだという。 今、立ち入ることができるのは、島のほんの一角のみで、居住区は観ることは出来ない。 当時の写真や映像を見ながら、その繁栄ぶりを想像するにつけ、その頃に行ってみたかったと思う。 廃墟で無かった頃に。
あのマス一つ一つに、家族のドラマがあったのだろうと想像します。 こうやって残っているだけでも、有り難い事なのかもしれないですね。 なぜ、当時住んでいた方は建物の写真を撮らないのでしょうか?
2016年10月01日09時05分
bluegeenさん ありがとうございます。 僕も最初「廃墟」として観ていましたが、もっといろいろな思いがあるのだなとわかりました。 同じような炭坑で栄えていて、15年くらい前に閉山になった池島という島があって、そこはまだ 人が住んでいるのですが、軍艦島の様に立ち入りが制限されていなくて、島を自由に歩くことが できます。もちろんまだ閉山して日が浅いので、軍艦島の様に廃墟化していないのですが、島の 大半がゴーストタウンになっていて、何十棟も林立している無人の団地はなかなかの光景です。 写真を撮るのには面白い場所・・・・ だと思っていたのですが、しかしですね、なんとかその島を 復興しようとしている人たちもいるんです。イベントをやってみてはどうかとか、一生懸命考え ている方々もいるんですよね。写真を撮る前に、そういう部分は気持ちに留め置いておきたいものだ と思いました。「このまま放っておくと軍艦島の様な廃墟になるから面白いよね」ではちょっと 寂しい考えかも知れません。
2016年10月03日00時26分
berlinさん ありがとうございます。 現役だった頃の資料とかを見ると、本当に窓の一つ一つに生活があったのだなと思いました。 土地が無いので子供たちは屋上で野球をして、ボールが下に落ちるたびに10階から階段を降りて拾いに行かなければならなかったとか。たまに豪腕の人がいて、下から10階の屋上まで投げ返してくれたとか、面白い話がいろいろあるみたいです。 ここに住んでいた方が今の建物の写真を撮らないというのは、現地のガイドさんの説明で知りました。想像ですが、火事になった我が家を撮りたいと思う人がいないという感覚に近いのかなと思います。 閉山はここに住む人の力ではあらがえない時代の潮流でした。不可抗力で住む家を追われるというのは災害で家をなくす感覚に近かったのじゃ無いかなと思ったりします。 閉山してからわずかな期間で島から人は居なくなったと聞いたことがあります。すぐに立ち退かなければいけなかった。生活の思い出を温める暇も無く転出を余儀なくされた、そういう辛い思い出と、屍の様になって残ってる当時の建物の姿がない交ぜになって、やるせなくなるんじゃないでしょうか。ま、想像ですけど。
2016年10月03日00時38分
s.u.t.iさん そうですね、めっちゃかぶりましたね(笑) s.u.t.iさんは、望遠で寄って撮ってらっしゃるので、いろいろな部分がわかっていいですね。 居住区は船上からしか観れないので、望遠で撮ればよかったです(笑)
2016年10月03日00時41分
bluegeen
軍艦島!行ってみたいけど、住んでられた方の切なさも伝わってきます。 しかしこのモノクロは重くて凄いですね。
2016年10月01日02時03分