しろたん。 ファン登録
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昭和47年(1972年) 上野動物園でパンダが公開され、 吉田拓郎が旅の宿を歌っていました。 8mmフィルム映像をキャプチャ。 ホース持って水撒いてるのが当時7歳の私。 右は弟。奥にいるのは近所のガキ大将… 貧しかったけど楽しかったなあ。
今どき 外で遊んでる子なんて見ませんね、 便利なものはなくても 豊かでなくとも みんなが明るく生きていたかも。。 古き良き時代ですね(*^^*)
2016年07月03日22時10分
ぽり.さんと同感です(^^) 近所に暮らす人たちと関わり合いながら暮らすのが普通でしたよね。 その中から自然に色々なことを学び、言葉にしなくても分かり合える時代でしたね。
2016年07月03日22時31分
ツユクサさん そうです、父が撮影していました。親バカだったのでしょう、 小学校のプールに塀の上から8mmカメラを覗いている父が 現れたときには、恥ずかしくてプールに潜ったままで いましたよ(笑)今では不審者として逮捕されるでしょうね。
2016年07月03日23時08分
ていやぁ天八さん 東京のこの辺りは、戦争で文字通りの焼け野原になりました。 電柱さえ残っていないような、壮絶なものだったようです。 それから27年後の東京は、子供がアホ面して遊ぶ平和な 都市になっていました。戦後復興の人々の努力・逞しさ、 そして何より平和のありがたさを実感します。
2016年07月03日23時12分
ゆきゆきさん 子供が路上や公園でふざけて遊ぶのは「当たり前」な 時代でした。子供がうるさいのに腹を立てる人間は 少なかったですね。でもマナーのなってない子供には 容赦なく怒る爺さんも町内に何人かいました。 微妙なバランスで秩序が保たれていましたね(笑)
2016年07月03日23時16分
ぽり.さん まあ娯楽の少ない時代でしたので、皆で同じ情報を共有して 楽しんでいまいしたね。「昨日のあのテレビ見た?」とか、 家族で歌番組を見たりとか。でも流行に取り残されないように 日本中が必死だったような気もします。
2016年07月03日23時20分
poteiさん 体験をして学ぶことは、現代よりずっと多かったですね。 今ではgoogleでちょっと調べれば何でも答えが出てきます が、知識だけではどうにもならない事のほうが人生には 多いと思います。他人の痛みを分かるようになるのは、 自分も痛い思いをしたからこそ。そういう体験をもっと 子供達にはして欲しいですね。
2016年07月03日23時24分
となると吉田拓郎ってかなり爺様ですね(ฅ`ω´ฅ) まえに正にこの頃のライブ映像YouTubeで観ましたが、現代のどんなロックバンドも敵わない盛り上がり感というかエネルギーにビビりました、時代なんでしょうね
2016年07月04日21時59分
玉サブローさん 拓郎は中津川フォークジャンボリーで「人間なんて」を マイク無し(壊れた)で2時間ずっと歌い続けた、もう人間では ない人です。その後の彼は、もう"燃えかす"みたいなもんだと 思っていますが、その燃えかすがまたイイんだよなあ(笑)
2016年07月04日22時08分
オズマさん ちくしょ~って言われても!!(笑) 当時の父はキャノネットで写真を、8mmカメラで 動画を撮っていましたね。貧乏な癖に、妙に ハイカラな部分もありました。私もそんなところ は似てるのかもしれませんね。。。
2016年07月05日23時30分
大地のおやじ
パンダ!旅の宿!!そしてこの画像 うぅ。。涙腺が緩みます(^^;;
2016年07月03日20時48分