Hi_LIGHTS
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J
B
雨と休日さんに素晴らしい感想をいただいて、 私感ですが、あらためて写真っていいな―とおもうことを。 自分で説明するのも無粋ですが、この写真にはテーマ的に、 「別離」と「再会」の両極が同居しています。 映像ならば、時間とともにそれに解答を与えるでしょう。 アウトフォーカスから女性に焦点を合わせるならば「再会」の場面となり、 そのまま消えてゆくなら「別離」の場面となる。 そうして「映像」は、〈時間〉の中で確たる物語を生起させます。 それに対し一枚の写真は、物理的には〈時間〉を使うことができません。 〈瞬間〉は答えを宙吊りにしたまま静止し、イメージはそのまま両義性に開かれ続けます。 つまり、一枚の写真には物理的な時間がないからこそ、澱みも終わりもなく純粋に持続する時間が存在し、 それは様々な意味や物語や解釈に開かれながら輝くのではないかと思います。 自分でも一枚の写真を撮ることで、 アンリ・カルティエ=ブレッソンの言う「決定的瞬間」の意味がほんの少しだけわかった気がしました。 以上、「お前が言うな」というはなしでした。 写真下手くそな屁理屈文系の戯言としてお読み流しください(^^;
2015年10月23日16時36分
>雨と休日さん 屁理屈付き合っていただいてありがとうございます笑 仰る「関数」というのがいわば時間全体の流れで、 「微分」がその中に現れる瞬間のことですよね? だとしたらその通りです! ただ、単独の写真=瞬間において伏流する時間に関しては、「関数」のように空間的な線としてあるというよりも、 物理的な現象とは別の仕方で生起する主観的な同時性であると考えています。 瞬間=現在の中に過去と未来が同時に存在し、思惟によってイメージとしてそれが流れ出すような。 しかしこの辺を語り出すと、(哲学者)ベルクソンやドゥルーズの時間論についてのレポートになってしまうのでこのへんでやめておきます(>_<) ちなみに「逢瀬」って日本語、本当に美しいですよね◯ そこに気付いていただいてとてもうれしかったです!
2015年10月25日00時09分
Hi_LIGHTS
ありがとうございます。 そんなふうな印象を喚起できてとてもうれしいです(^^ 自分的にも、ある種死にも近い「別れ」と、 それでも共有した「世界の美しさ」みたいなのをテーマにしていたので、 まさに雨と休日さんが感じてくださったストーリーの通りです◯
2015年10月23日15時22分