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明治天皇・皇后に仕えた田中光顕は、龍馬・慎太郎の暗殺現場に駆けつけ『卑怯憎むべし豪胆愛すべし』との瀕死の慎太郎の言を聞いている 光顕は激動の時代を陸援隊副隊長、政治家、伯爵として活躍、昭和13年95歳で逝去 龍馬を思う時、いろは丸が思い浮かぶ 日本で初めて株式会社を興した龍馬はいろは丸で航海中、紀州藩の軍艦・明光丸に衝突されて積み荷もろとも船を沈没させられる 龍馬は天下の紀州藩を相手取り、万国公法を盾に司法の場で闘い、約10万両(現在の40億円)の賠償を勝ち取る その9日後、暗殺され非業の死を遂げる
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龍馬は天下の紀州藩を相手取り万国公法を盾に司法の場で闘い抜き、約10万両(現在の40億円)の賠償を勝ち取る その9日後、慎太郎とともに何者かに暗殺されるがこの時の7万両(実際に支払われた額)を元に弥太郎は三菱財閥の基礎を築いた 維新後の日本の姿を明確に想像し得たのは龍馬ただひとりだった 龍馬の明晰な頭脳は、船中八策を著わし、これが公議政体論の基礎となる 龍馬の示したこの案は岩倉具視に伝えられ、大政奉還が断行される これにより明治新政府という新しい時代の幕は切っておとされた かつて、新政府では何をするつもりかと問う西郷に、世界の海援隊をやると言い放った龍馬 あの時は西郷が一回りも二回りも小さ ...く見えた・・と二人の様子を伝えた陸奥宗光 陸奥宗光は龍馬譲りの豪胆さで欧米の列強を相手に外務大臣としての任を全う、いまもなお史上最高の外相との誉れも高い 150年の時は流れ・・・ 日本海軍の創始者・青年龍馬を神戸に偲ぶ ※ フォトグラファー(動物写真家)田中光常氏は、田中光顕の孫にあたり、俳優の加山雄三氏は、岩倉具視の曾孫にあたる 。
2015年09月11日03時03分