TR3 PG@
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メヘレンの街の中心グローテマルクト Grote Markt から伸びるメインストリート、エイゼレンレーン IJzerenleen をほんの数百m進むと、運河を渡ります。 (奥に見えるのがグローテマルクトにある博物館、近いでしょ) 川かと思ったら、メヘレンの街が形成される過程で市街中心部へ作られたの運河だそうです。 そして、この運河が下流のアントウェルペン、北海へと繋がり、この辺一帯が港として大いに栄えたそうです。 故に、ここに魚市場ができ、塩、穀物等々、様々な物資の交換所もできたようです。
shokoraさん、いつもコメントありがとうございます。 地図見て頂けましたか(^.^) 結構縦横無尽に運河や水路が広がっているでしょ。 水田など全くないにもかかわらず、ここまで発達しているのは明らかに水運なんですよね。 物流は馬車より船の方が優位なんですよ、間違いなく。 しかも・・・この地方、ブリュッセルからメヘレンの間がヨーロッパ大陸で一番早く鉄道が引かれたところなのです。 如何に人や物の動きが多かったか察しが付きますよね。
2015年01月12日21時31分
TR3 PG@
こんな小さな運河が?・・・重要な水運に?・・・と、思われるでしょうが、時代が時代です。 小さな船でも水運は最も大量の物資を運ぶ重要な交通手段だったのです。 撮影地情報の地図の縮尺をぐぐっと大きくして見てください。 フランダース平原は低地で真っ平ら・・・そこに無数の運河が川と連結して水運ネットワークを形成していることが分かります。 今でこそ水運=大きな船のイメージがありますが、当時の小さな小舟でもしっかり内陸まで入り込めるのが分かると思います。
2015年01月12日16時12分