TR3 PG@
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旅先で美術館とか博物館があると、その土地の歴史や風土を知りたいとついつい入るのですが、どうも時間が足りません。 今回もトリーア市立博物館に入館したものの、ササッと(^_^; ましてや展示説明もろくに読めないまま、雰囲気を楽しんでしまいます(^^;ゞ この船の模型も、たぶんモーゼル川をこんな船で・・・と、勝手の想像しながら撮ったものです(^_^; で、改めて写っている表示などを解読すると・・・「選帝侯クレメンス・ヴァーツラフの大型帆船」と読めます。 さて??
たまじまんさん、コメントありがとうございます。 こういう模型、お部屋に一つ欲しいですね(^.^) もっとも我が家には飾るに相応しい部屋ありませんけど(^_^; ところで、この模型を見てもお分かりのように、浅めの川を航行する船なので喫水線が浅い平たい船なんですよね。 ライン川やここモーゼル川を航行している船もこんな船体でした。
2014年07月26日11時26分
TR3 PG@
先ず、こういった中規模の帆船がモーゼル川を行き来していたことが分かります。 たぶん、名産のワインもこのような船で搬送されていたことが容易に想像されますし、事実モーゼル川を結構大きな船が航行していたのを目撃しています。 古い時代からライン川はもちろんですが、その支流であるモーゼル川も船運が盛んに行われていたのですね。 さて、次に選帝侯クレメンス・ヴァーツラフ(KURFÜRSTEN CLEMENS WENZESLAUS)ですが、ネットでググるとドイツ語のWIKIPEDIAで引っかかります(^_^; 無理矢理日本語訳すると・・・18世紀から19世紀のトリーアの選帝侯だったようです。 さて、その「選帝侯」とは? 「選帝侯は、神聖ローマ帝国において、ドイツ王ないしローマ王(すなわち神聖ローマ皇帝)に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことである。」 とか・・・。 その中でも、トリーアの選帝侯は大司教の立場だったようです。 「カトリック教会の高位の司教で、神聖ローマ帝国の選帝侯の一人。 トリーアに司教座が設置されたのは4世紀である。中世になるとコブレンツなどライン川沿いにも領地を持ち、マインツ大司教、ケルン大司教と並んで神聖ローマ帝国の有力聖界諸侯となった。カール4世の金印勅書で、トリーア大司教は7人の選帝侯の一人に指定された。ナポレオンが登場すると、1801年のリュネヴィルの和約でトリーアはフランス領となり、皇帝選挙権を失った。その後、1806年に神聖ローマ帝国も解体された。」 とあります。 やはり紀元前から第二のローマと云われたトリーアは近世まで絶大な権限をもった都市だったようですね。
2014年07月21日21時23分