たま407
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総武線快速の車窓から見た日本光学大井町工場(現・ニコン大井町製作所)。社名が日本光学からニコンになったのは翌88年。 冒険家・植村直己が-50℃の極寒地用に特注したニコンF2(チタン製「F2ウエムラ」、77年完成)の最終テストで、5階の階段から1階まで蹴り落としていったなんて逸話が残っています。 87年は「アサヒスーパードライ」発売、金賢姫の大韓航空機爆破事件、映画『マルサの女』、テレビ『ねるとん紅鯨団』、『世界の車窓から』、CM「しば漬け食べたい」(山口美江)、詩集『サラダ記念日』など。
プーチンパパさん コメントありがとうございます(=^・^=) 『マルサの女』公開前年の86年、霞が関の大蔵省5階の国税庁で行われた製作発表記者会見に出席しました。 会見場には伊丹はじめ宮本信子、津川雅彦、岡田茉莉子ら主だった出演者が顔をそろえました。国税庁全面協力の異色の映画でしたね。 その後、日活撮影所に伊丹を取材で訪ねたり、本物の女性国税査察官を取材したり、当時のマルサブームは大変なものでした(これに強く反応したのが外務省で、私にドラマ化の相談がありました。後に皇室を巻き込んだ大騒動になるのですが…) その陰で、マスコミに24時間追い回された女性査察官がノイローゼになって離職したという悲劇もありました。 伊丹の死は、某宗教団体による亀井静香国家公安委員長暗殺計画、それを実行犯に依頼し後に命令した教祖に反旗を翻す藤井富雄公明党東京都議の暗殺計画に関わった山口組系後藤組によるものとみられています。すでに一度襲撃していますしね。 一連の事件の経緯は魚住昭著『野中広務 差別と権力』や後藤忠敬組長の著書などに詳しく書かれています。
2014年07月10日19時04分
プーチンパパ
マルサの女以来、伊丹十三の作品は多分全作観ています。 鋭い目で、根深い社会の問題を暴き出すその姿勢は本当に後にも先にも 彼だけではないでしょうか。 彼は常に命を狙われましたが、暴かれることを面白くないと思っている 集団側の人間が犯人であることは言うまでもないですね。 私的には、 1987年、最後の国立公園といわれた、北海道の、釧路湿原国立公園 がスタートしました。この関係で、例年の3倍くらい北海道へ往復して、 環境庁、公園管理事務所のレンジャーとの折衝に当たり大変な思いをし た年でした。
2014年07月08日21時58分