elvis0713
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かぶき者:江戸時代初期、色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していくが、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。by ウィキ 母方の祖父の墓が浅草にあり町奴(かぶき者の一類型)のスター幡随院長兵衛のお墓もあります。
リストリンさん コメントありがとうございます。 かぶき者たちは武士身分ではなかったらしく 戦国時代が終わり仕事にあぶれた人間の反骨精神の表現でもあったようです。 ただ無頼人間たちの集団でもあったようで、 一部では嫌われ者、一部では反体制のヒーロー?だったとも… 流れとしては伊達男→かぶき者→旗本奴or町奴→侠客でしょうか? 因みに浅草のお寺には日本地図測量の伊能忠敬のお墓もあります。
2014年06月11日16時59分
幡随院長兵衛.... 侠客の元祖ですね☆ 30年くらい前までは日本にもいたようないないような... 時代の流れは速いですね。 白衣歌舞伎者の作品.... 本当に白衣の歌舞伎者が見得を切っているようです☆ 素敵ですね♪
2014年06月11日17時25分
追憶の流星號さん コメントありがとうございます。 タイトル実は迷いました。 秀吉に無実?を伝えるための伊達正宗の白装束か? 見栄を切るの歌舞伎のナリタヤなのか? でも白い「歌舞伎揚げ」にもみえるし… 粋に見えていたら本望ですです。 kittenishさん コメントありがとうございます。 ほんとうですか~~?お褒めいただいて嬉しいです。 大きくPC画面で見てみたら歌舞伎役者にしか見えませんでした(これ事実です)
2014年06月12日09時32分
リストリン
キャプション 興味深く読ませて頂きました。 かぶき者の白装束に思いをはせた思いが みごとな描写に現れています。
2014年06月11日16時32分