富士山なすび
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清水次郎長が作った船宿。本来は港に面した波止場にあった。次郎長の死後妻や養女が経営していたが、その死後は他者に譲渡され、しばらく船宿として利用されていたが、その後清水の産業界の有力者が買い取り、その者の住居として鶴舞町という場所に移築されたという噂はあったし、近隣の住民はみなそれが「末廣」と知っていたが、ちゃんと調べない事には確かなことはわからず。しかし平成二桁になってから住人がいなくなり、解体という段になって市が本格的に調査したところ、家の材料のほとんどが作られた当時のまま残っていた奇跡の宿。