ホーム やま哲 写真一覧 2014初詣 Ⅱ やま哲 ファン登録 ユーザートップ 写真一覧 ギャラリー お気に入り ファン ファンになっているユーザーの写真 ファンになっている ファンになってくれている 2014初詣 Ⅱ お気に入り登録31 3299件 D E 2014年01月02日20時56分 J B
少しマイナーな初詣神社、赤坂の氷川神社です。 2日の今日夕方、人出もまばらでしたが、由緒正しき神社です。 私の昔の中高の直ぐ側、懐かしさと共に過去が蘇ってきました。 コメント9件 やま哲 以下、赤坂氷川神社の由緒沿革(神社ホームページより) 創立の起源は、古い書物によると、天歴5(村上天皇 951)年武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。 これよりおよそ百年後の治歴2(後冷泉天皇 1066)年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。 江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元(1716)年将軍職を継ぐに至り、同14(1729)年に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15(1730)年4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。 以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。 『江戸名所記』によると― 「むかし人王62代村上天皇の御宇天暦年中に近江国甲賀の郡に蓮林僧正として天台四明の法灯をかかげて一念三千の観行をこらす上人あり、東国修行のついでこの所に一夜をあかしける、その夜の夢にいづくともしらず老翁1人来りていわく、我はこの土中にうづもれて久しく年をつもれるものなり、いそぎ掘出して安置せしめばこの所の守護神となるべし、その埋もれし所には奇瑞あるべしと見て夢はさめにけり。 上人奇異のおもひをなしそのあたりをめぐるに一所の壇上に金色の光りあり、いそぎほりてみれば十一面観音の形像おわします。やがてそのところに社をたてて安置せしめらる、一木村の観音と名づけて諸人まいりつどう。きわめて利やくおおし。 蓮林遷化の後治暦2年ひのえ午にあたって関八州のうち夏より秋にいたり大にひでりす。万民うれえをいたしけるに、当所の土民このやしろに雨をいのるに、たちまちに洪雨ふりくだって五こくゆたかにみのり民よろこびのまゆをひらきけり、これ雨をくだして川をなし万民をたすけ賜る、故にすなわち神とあがめ、氷川の明神と名付けたてまつる。神事は6月15日や、今に及びなおこの神徳たかくおわしまして諸人の願望をかなえ賜うぞ有がたき。 くみてしる 氷川の宮の 神こころ めぐみあらたに世をうるうとは(江戸鹿子)」 2014年01月02日21時05分 いつもありがとうね 初詣に行った気分になりますね! ご利益あるでしょう^_^ ありがとうございますm(_ _)m 2014年01月02日21時43分 diminish 初詣行かれましたか! 私は風邪気味でじっとしておりました! 作品を拝見して少しでもご利益頂きたいです(^O^) 2014年01月02日21時48分 impressions あやかりたいです。 素敵な作品ですね♫ 2014年01月02日22時16分 うさぎの名前はミーコ キレイ 2014年01月03日09時21分 asas あけましておめでとうございます。 本年もどうそよろしくお願いいたします。 2014年01月04日08時51分 the11s はじめまして。 そして、明けましておめでとうございます!! よかったら、これからよろしくお願いします♪ 2014年01月04日10時15分 hisabo 二日とはいえ、人っ子一人いない正月の神社は、 場所を考えたら、レアな印象ですよね。 その分、静かな美しさを表現できたのは良かったように思いますが……、 2014年01月08日10時40分 mimiclara 僕はいつも豊川稲荷に出かけるんですが、空いてます^^ 2014年01月08日20時51分 新規登録・ログインしてコメントを書き込む コメントを書き込む 同じタグが設定されたやま哲さんの作品 最近お気に入り登録したユーザー mimiclara ファン登録 hisabo ファン登録 kao♪♫♬ ファン登録 danbo ファン登録 酔水亭 ファン登録 the11s ファン登録 asas ファン登録 duca ファン登録
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以下、赤坂氷川神社の由緒沿革(神社ホームページより) 創立の起源は、古い書物によると、天歴5(村上天皇 951)年武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。 これよりおよそ百年後の治歴2(後冷泉天皇 1066)年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。 江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元(1716)年将軍職を継ぐに至り、同14(1729)年に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15(1730)年4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。 以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。 『江戸名所記』によると― 「むかし人王62代村上天皇の御宇天暦年中に近江国甲賀の郡に蓮林僧正として天台四明の法灯をかかげて一念三千の観行をこらす上人あり、東国修行のついでこの所に一夜をあかしける、その夜の夢にいづくともしらず老翁1人来りていわく、我はこの土中にうづもれて久しく年をつもれるものなり、いそぎ掘出して安置せしめばこの所の守護神となるべし、その埋もれし所には奇瑞あるべしと見て夢はさめにけり。 上人奇異のおもひをなしそのあたりをめぐるに一所の壇上に金色の光りあり、いそぎほりてみれば十一面観音の形像おわします。やがてそのところに社をたてて安置せしめらる、一木村の観音と名づけて諸人まいりつどう。きわめて利やくおおし。 蓮林遷化の後治暦2年ひのえ午にあたって関八州のうち夏より秋にいたり大にひでりす。万民うれえをいたしけるに、当所の土民このやしろに雨をいのるに、たちまちに洪雨ふりくだって五こくゆたかにみのり民よろこびのまゆをひらきけり、これ雨をくだして川をなし万民をたすけ賜る、故にすなわち神とあがめ、氷川の明神と名付けたてまつる。神事は6月15日や、今に及びなおこの神徳たかくおわしまして諸人の願望をかなえ賜うぞ有がたき。 くみてしる 氷川の宮の 神こころ めぐみあらたに世をうるうとは(江戸鹿子)」
2014年01月02日21時05分