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日露戦争時の大砲が、神社に奉納されていました。
yoshijinさん、いつもコメント有難うご座います。 政治に翻弄されるのは、いつも国民。そんな気がします。 なんの変哲もない写真ですが、 いろんな思いが浮かび上がってきます。
2013年11月14日12時43分
安芸の国からさん、コメント有難う御座います。 100年以上の昔、かなりの苦戦を強いられた辛い状況の戦いで 日本の命運を分ける重要な任務を果たされたのですね。 私の父は第二次大戦でロシアの捕虜になりましたが、 終戦で開放され、ガリガリの状態で帰郷したそうです。 いずれにせよ、必死・決死の思いで命を繋いで下さった、 先人である方々には敬意を表したく思います。
2013年11月17日22時09分
こんにちは 私の実家は北海道ですが、両親は元々樺太に住んでいました(日本人ですが)。 ソ連の領土になり北海道に移住してきたわけですが、移動の船ではいつ沈められるか分からず、生きた心地がしなかったといっていました。樺太に関連するテレビ番組は絶対見ようとしません。 平成から令和になったとき、母が「平成は戦争が無くて良かったなぁ」とつぶやいていました。キュリー主人さんも書かれていますが命がけで平和な時代につないでくれた方々に敬意を表さなければいけませんね。
2021年02月28日22時15分
こうつくさん、こんばんは。嬉しいコメント有難うございます。 私の父も戦争に駆り出され、ロシアの捕虜となった収容所での地獄のような過酷な体験を何度か聞いており、そんな父は敵機を何機撃墜したなどの武勇伝的な話を嫌う人で、戦争は被害者しか生み出さないとも言っていました。 戦争は国民から穏やかで自由な生活を奪い取ってしまうものだと思っています。 望まずとも国民の多くが兵隊となり、敵という概念の中で見知らぬ相手を殺さざるを得ない状況に追い込まれ、国家のためと云うよりもっと身近な愛する人や家族を守るための戦いだったと思います。 まだまだ先の長い人生を楽しめたはずなのに命を落としていった多くの若者たちに心から敬意の念を抱いております。
2021年03月01日00時04分
yoshijin
日露戦争、苦い歴史です。北方領土は帰ってきませんね^^:
2013年11月14日11時08分