りあす
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第九代秀ノ山雷五郎 「津波にも“残った”“残った”!」と報道され、 被災した人たちに勇気と希望を与えています。
美しい朝焼けですね、噂のレンズをキチッと絞り込んで使われてますね^^ もうそちらもずいぶん気温が下がってきてるんではないでしょうか。 札幌は手稲の山が先週初冠雪を記録しました。 お互いに体に気を付けて、フォトライフをエンジョイしましょう!
2013年10月21日07時45分
被災した人々が勇気づけられているこの力士の凄さが 伝わってきます。三陸の方を見守っている銅像が朝焼けの空に 輝いてみえますね。とてもすてきな作品です!
2013年10月21日18時17分
私もここで何度か朝日を撮ってますが、秀ノ山とのコラボは 撮ったことなかったです^^; しかも、「秀ノ山」という名前を知ったのはここ数年で、 それまでずっと「谷風」だとばかり思ってました~。 (それは勾当台公園でしたね^^;)
2013年10月23日00時07分
りあす
気仙沼出身の第九代目横綱『秀ノ山 雷五郎』は、身長が164cmと歴代横綱で最も背の低い力士であったにもかかわらず、38歳にしてついに相撲力士の頂点、横綱にまで昇りつめた郷土が誇る偉大な力士です。 少年時代より怪力豪腕で相撲が大好きだった辰五郎(秀ノ山)は、相撲力士の夢を捨てきれず一人江戸にむかいますが、体が小さかったために、どこの相撲部屋でも門前払いだったといいます。 ようやく同郷の荒熊力之助に拾われるも間もなく追出され、流浪の身となってしまいます。神頼みの日々を送るうち、桐生の高木源之丞に助けられ、庇護をうけて、やっと秀ノ山伝治郎のもとに入門がかなうのでした。その後も、小柄故に苦労しながら、持前の強靭な精神力と練磨によって肉体的な劣位を克服し、天保8年1月入幕、文政11年2月関脇、12年1月大関と進みました。 その間、天津風、立神、石見潟、そして師匠の名「秀ノ山」を継ぎついに横綱免許を受取るまでとなりました。その功績は多くの浮世絵の中に残されています。(気仙沼市HPより)
2013年10月21日06時14分