たま407
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左は昭和30年代に活躍した東映の女優、故・浦里はるみさん。不思議な縁で、彼女の古いアルバムが一時私の手元にやって来ました。 高倉健のデビュー作『電光空手打ち』(昭和31年)で共演した時の写真や大物スターとのスチール写真など、日本映画界の黄金期が偲ばれる貴重な写真ばかりでした。 さて、右の俳優さんはお分かりでしょうか。NET(現テレビ朝日)で放送された『悪魔くん』(水木しげる原作)で悪魔のメフィストフェレスを演じ、晩年にブレイクした悪役専門の故・吉田義夫さんです。俳優になる前は、高校の美術の先生でした。
プーチンパパさん コメントありがとうございます(=^・^=) そうですか、当時は東映のバンプ女優といえば浦里さんだったそうですね。私はまだ幼くて東映や日活の映画も主演俳優しか覚えてないんです。 彼女は私が入り浸っていた新宿御苑のお店のマスター(役者さん)と知り合いで、マスターがすっかり年老いた彼女から古いアルバムを預かってほしいと頼まれたんです。理由は分かりません。 あまりに写真が傷んでいたので、とりあえず私がデジタル撮影して、浦里さんにアルバムともどもデータをお渡ししたと記憶しています。浦里さんはそれから3年半後に亡くなりました。 しかしアルバムを見て息を呑みましたね。歌右衛門、千恵蔵、錦之助などなど当時の大スターたちのスチールや撮影の合間のスナップがたくさん貼ってあったんです。 そう、吉田義夫、山形勲、原健策、進藤英太郎など仇役専門の役者さんたちも写ってました。 しかしプーチンパパさんは日本映画にもかなり造詣が深いようですね。
2013年07月26日23時32分
たま407さん 映画に造詣が深いといわれると、それは違います。テレビが大衆のものでは無い中学時代は、映像娯楽は映画しかなかったんです。たま407さんよりは早くから、多く観ていただけのことです。テレビと車はお金持ちのステータスシンボルでしたからね。
2013年07月27日21時24分
プーチンパパさん コメントありがとうございます(=^・^=) 確かにそうですね。私が保育園から小学校低学年までは家族で今週は東映時代劇、来週は日活無国籍アクション映画と毎週のように映画を見に行っていましたね。 後はラジオ。中村メイコの『パパ行ってらっしゃい』(確か武田薬品提供だったかと)を毎朝聞いていたことだけ覚えています。 テレビが来てからパッタリ映画を観に行かなくなりました。家にいながら映像を見られるなんて、一家の大事件でしたからね。そしてカラーテレビが来たときは、家族が天にも登る幸福感で満たされました(笑) 数年前、『木枯し紋次郎』の中村敦夫さんと5時間くらい飲んだ時、同じように子供の頃の時代劇体験の重さを聞かせてくれました。 「紋次郎に嵐寛寿郎さんや片岡千恵蔵さんがゲスト出演したときは、刀を抜いて向かい合った瞬間、『あ、アラカンだ!』『千恵蔵だ!』って撮影中に素人に戻っちゃうんだよね。子供の頃、映画館で夢中になって観ていた時代劇のスターじゃない。そりゃ緊張したよ」 「アラカンさんは強盗団の頭目の役で、自分は鞍馬天狗とか一貫して正義の味方をやってきた自負があるのか役が気に入らないらしくて、監督が『先生、もうちょっと右へお願いします』と言っても聞いてくれないんだ。監督困り果てていたよ」と笑っていました。
2013年07月28日19時43分
プーチンパパ
こんばんは。 名前を覚えるのは得意ではありませんが、中・高生時代は洋画邦画を問わず、映画見まくりでしたから、色っぽい浦里はるみさんはよく知っています。吉田義夫さんもよく知っていますよ。映画系のお仕事なんですね。
2013年07月26日19時53分