おおねここねこ
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うすばかげろう。 何を連想するでしょう。 小さい時、神社の社殿の下の乾いた土の所に 小さなすり鉢状のものがあって、そこに隠れていた蟻地獄。 いや、このたよりなげなこの姿で1,2週間しか生きない 儚さでしょうか。 このマルバデイゴの紅に染まった目と薄い緑羽。 このでいごの花にしても、せいぜい1週間。 人もまた、宇宙の深遠さに比べたらどうなのか。 などと考えてしまいましたが。 WB=太陽光、CPLF、手持ち、風景モード、JPEG撮って出し、原画像1.7M.
見慣れない花だなと思いました。デイゴは見たことがありますが高いところにあって花の形まで知りませんでした。真っ赤な花びらにとまったカゲロウは儚いながらも生を満喫しているようにも思えます。
2013年06月21日10時04分
良くぞ見つけられましたね。 一週間をどう感じるのか、長いのか短いのか・・・・ それぞれの基準、感じ方、地球上いや、宇宙を同じ尺度で測ってはいけないのかも・・・
2013年06月21日10時27分
見た目の儚さも感じていましたが、 成虫の、短い一生にも儚さを感じますね。 思っていた以上に緑の印象、 赤い花に対比させた印象深さは、 おおねここねこさんが用意してくれた、花道を感じさせます。
2013年06月21日10時59分
真っ赤な花びらの上のか細いウスバカゲロウの緑。 強烈なインパクトを受けました。 タイトルから、吉野弘の「I was born」という詩を思い出しました。 この詩の中の蜉蝣は、カゲロウ目かなとも思いますが、 ウスバカゲロウの羽根の持つ感じから、そうでないかなと思います。 ちょっと長いですが、インターネットを検索したらあったので詩の一部を 紹介しておきます。 僕は父を見た。父は続けた。 ―友人にその話をしたら 或る日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物をとるのに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。
2013年06月21日12時34分
鮮やかで派手な彩のデイゴに隠れるように張り付いたウスバカゲロウは、この鮮やかさの中で身を守っているかのように感じました。 花も虫も儚き命ですが、両者共に必死に生きてるんですね。
2013年06月21日14時18分
そんなに命が短いのですか。 確かに宇宙の時の流れの中では人間の命も一瞬なのでしょうね。 だからこそこの作品にこのサイトに出会えてよかった!と思えます。 ありがとうございますm(__)m
2013年06月21日17時12分
今や旬の花ですね。 茅ヶ崎方面も街のあちこちに咲いています。 またこの花が落ちると地面がまっかに染まって綺麗です。 ざくっと切り取った綺麗なお写真。 この花のパッションカラーがよく出ていますね。
2013年06月21日17時55分
皆さま、お越しいただき有難うございます。 はかなさ、あまり好まれない言葉かと。 若い時から厭世の感じではいけませんからね。 それでも、頭の片隅には、無常と言うことは 置いておきたいものです。 原画像は、等倍で見ても、ウスバカゲロウの目に きちんとピントが来て、マルバデイゴもかっちり写ってるのですが なぜかUPすると、もわもわとしちゃって、寂しい限りです。
2013年06月21日20時24分
デイゴのあのたくさん連なっている花弁の中に、よくもまあ見つけましたね。 さすがカメラマンの観察力! 花と蜉蝣・・・なんか映画のタイトルみたいですが、 いつも詩情があり、勉強になります。
2013年06月22日15時41分
hatto
時間の物差しは、万物それぞれ違うのでしょうが、時間を認識できるのは、人間しかいないでしょうね。 それにしましても、素敵な被写体を見つけられましたね。赤い中の緑は、目立って美しいです。儚い中の美ですね。
2013年06月21日05時36分