今田三六
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☆横浜!というと、どのようなイメージを持たれるでしょう。まあ人によりけりでしょうが、この土地は、開港と共に埋め立てで発展し、物流をよくするために運河=掘割川が作られました。その川沿いのドラマ=生活がハマっ子の原風景のようです。 汽笛一斉新橋を!が明治4年。その後、明治37年=1937年から昭和47年=1972年まで、横浜市中心 部をメインに市電が運行されました。そしてこの電車は、掘割川にそって走ったわけです。なので、イメージされる横浜には「橋」のつく名称が多いのです。
良いですね。夕暮れ時の堀割川(^^) 僕もハマっ子ですが横浜のイメージを考えてみました。やはり強いのは山下公園周辺のような「モダンな港町」のイメージでした。 僕は戸塚の人間なので直接的な海や川より、よく子供の頃に連れて行ってもらった山下公園、氷川丸などの印象が強く残っているのだと思います。 「川」と言うと戸塚の柏尾川や母親の実家が有る弘明寺の大岡川、「橋」と言うと戸塚の吉田大橋や弘明寺の観音橋、こんなイメージが強いです。 横浜も広いですね。海有り山有り都会に田舎に、まだまだ知らない横浜が有るのだと思うと、これからの人生楽しみでいっぱいです(^^)
2013年06月07日16時51分
yoshi.s さんへ コメントをありがとうございます。 実はこの写真は足場が悪く、かなり危ないところです。 そして、川の環境整備がまだまだ遅れているのです。 しかし写真としては良いようで…ようするに、早く撮っておけということですね!
2013年06月08日14時29分
ケミコ(♂) 様 古いハマっ子?と新しいハマっ子??の感覚は、微妙に違うかもしれません。 しかし世代は違えど、ハマっ子は横浜を愛していると思います。まあ、どこの郷土の方もこれは同じでしょう。 ケミコ(♂)さんが慣れ親しんだ、戸塚の川や橋の写真を楽しみにしています。
2013年06月08日14時34分
ほのぼのん 様 コメントをありがとうございます。 横浜は現在進行形で凄い変化を遂げています。 ミナトミライ地区などはその典型です。 気を付けないと、見失う恐れがある!と感じるほどです。 新しいものを知りつつ、古いものに目を向けることを心がけたいと思います。 横浜めぐりは、実はそれだけをしたことはありません。楽しいでしょうね…。
2013年06月08日14時38分
yoshi.s
そうですか。地方に住む私が愛してやまない横浜の、原風景はこれでしたか。 キャプションがすばらしい。1枚の写真と数行の説明で横浜の原点を描き出しましたね。 さすが浜っ子!
2013年06月07日14時29分