C330
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40年前の徳本峠小屋(「とくごうとうげ」と読みます)です。 先日BSフジ絶景百名山で徳本峠を取り上げていました。ウェストンも深田久弥も穂高連峰の眺めに感動した峠ですね。 私は、この写真の後大滝山経由で槍まで縦走しました。現在、その反対方向は霞沢岳への道が開かれています。
確か昔は上高地に入るのにここからしか行けなかった聞いています。考えただけで、大変さが分かります。しかし40年前は既に細い道ながら、ボンネットバスで、上高地に入れました。釜トンネルの待ち時間が凄かったですよね。usatakoさんのコメントによりますと、まだこの小屋が存在するようです。それにしましても味わい深い山小屋です。他の山小屋ですが、服着たままの男も女も一緒に雑魚寝したことをを思い出します。
2013年01月14日17時33分
昭和の雰囲気の感じられる山小屋風景ですね 40年前ですかぁ もうこの頃からC330さんは山に登られていたのですね しかも今では想像出来ないようなコースで・・・ 徳本・・・「とくごう」って読むのですね またまだ勉強になっちゃいました 追伸)C330さんのお話をより理解したくて、深田久弥さんの「百名山」を購入しました それが意外と書店になくて・・・ 結局ネットで購入となりました さぁ!勉強しなくちゃ!
2013年01月14日18時20分
usatakoさん 常念、大天井経由ですが、4泊ですから結構ゆっくりでしょう。 ありゃ、末期症状とは私のこと?^^ でも、おかげさまで現在は治癒しています。(笑) いまは知ったか病教えたがり病で、皆様の顰蹙を買っているかもですね。反省します。^^ コメント有難うございました。
2013年01月15日13時32分
hattoさん 調べましたら、上高地にバスが開通したのは80年前だそうです。 私がよく行った頃、釜トンネルは素掘りのままで急勾配、中でエンストする車が続出、渋滞がひどかったですね。 徳本小屋は、いまでは奥に新館ができ、写真の部分は多くの突っ支い棒を立てて保存、資料館、休憩所として使用しているそうです。 コメント有難うございました。
2013年01月15日13時33分
airさん いい雰囲気の小屋でしょう。今も資料観として立っているそうです。でも大分突っ支い棒で支えているようですね。 百名山ブームで、百名山ばかりが混む現状なのに、大本の本が品薄ってのも変な話ですよね。 コメント有難うございました。
2013年01月15日14時40分
こるぷらさん 屋根など補強したり、突っ支い棒をしたりして、写真の部分は残してあるようですね。 霞沢岳は、当時道が無かったので当然テント指定地も無かったのですが、頂上にテントを張って一泊しました。 残念ながら穂高の眺めは得られませんでしたが、時折切れるガスの間から見おろす谷間はもの凄い高度感がありました。 コメント有難うございました。
2013年01月16日12時28分
usatako
40年前にすでに鄙びた風合いになっていたのですね。色々な小説とか随筆とかに登場 しますが、通ったことはありません。徳本から大滝山経由(そのあとは常念?横尾?) で槍と言うのは長い道のりですね。 今、外は雪がちらついてます。こんな日は病状が和らぎますが、この病気の末期症状 と言うものがどういうものか気になります。道が無い山に登りたくなるとか、山の写真を 一目見るとすべての山の名前が判ってしまうとか・・・。おそろしや(笑)
2013年01月14日16時49分