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- かつてはこんな事も撮り鉄少年にさせてもらえるほどのどかな時代だった(爆)
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昭和40年代初頭、僕が東京八王子の八高線のホームからそこに停まっていたSL(D51の下にある「八」は八高線のことなのかな。)を撮って居たら、機関士が、「おい、ぼうず、こっちに来い」というのでホームから線路に降りて(爆)登らせて貰った時の記念写真です。 今じゃ考えられない行為だけど、待てよ、これ誰が撮ったんだ? 親父と行ったとしか考えられないな。カメラ二台持って行って機関士さんに撮って貰ったはずはないけど、機関士さん運転席に見当たらないけど良いのか(爆) カメラの種類はスキャンしたプリンターの名前です。
わかなこさんありがとうございます。 お若いのですね。 でも、この時代はワープロはおろか、コンピュータも、すべてのデジタル製品の無い、不便な時代でしたよ(爆) ピントも手動、フィルムの残量をいつも気にしながらの撮影でしたから、今のように、とりあえず沢山撮るなんて縁の無い生活でした。 たしか、ISOと今言っている名前もASAだったような気もします。 でも、SLが現役で走っていたというのは良いですよね。 でも八高線は、この時期、客車はディーゼルで、SLは貨物専門になっていました。 でも、こういうの撮りに行くきっかけはなんだったんだろうなあ、、
2012年12月19日11時15分
belokamensky
rikkun33さん、ありがとうございます。 そうですね、「記念運行の看板」が着いてない蒸気機関車の写真がいくつか残っています。 この時の思い出は、今では貴重な思い出です。 とにかく、熱かった(暑かったという感じでは無いです。)思い出が鮮明に記憶されています。 別に鉄ちゃんにはならないで大人になりましたが、ロケハンのために、線路の上を歩いた思い出(今じゃ考えられない)、そこには、機関車に踏みつぶされた蛙やや蛇を何度も見ましたし、弁当を食って待っていると、「カタンカタン」という音でカメラを構えるというのどかな感じ。 時刻表は持ってたのかなあ、、。 まだまだ出しますね。
2012年12月11日00時10分