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白山公園線からR156に戻り、白川郷へ向かって車を軽快に飛ばしていると「帰雲城址」と書かれた看板を目にします。 「帰雲」は「かえりくも」と呼びます。 1586年の天正大地震で、写真正面の帰雲山が大きく崩壊し、一瞬のうちに帰雲城が埋没してしまったと言われています。 この城とともにこの地を支配していた城主の内ヶ嶋氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、また、そのとき埋まったとされる埋蔵金伝説があることでも有名です。
ロマン有る時代絵巻きを見ているかのキャプション有難うございます。やはりどの世もお金次第でしょうか。埋蔵金は有る可能性が高いでしょうね。この観音様がご存じかも知れませんね。礼拝です。
2012年09月22日19時58分
hattoさん、コメントありがとうございます。 長いキャプションにおつきあい頂きありがとうございます_(_^_)_ 以前にかなり大きなHPを運営していた時に、この帰雲城の情報を集めてかなり詳しく説明していました。 そのこともあり、ここの写真を撮るとついつい力が入ってしまいます(^^ゞ この周辺には昭和の時代まで鉱山がありましたし、金の産出もあったようです。 いつの時代でも金はいろんな秘話を生み出しますからね。 たぶん間違いなくこのどこかに埋蔵金はあるでしょう。 でもこのまま埋もれている方がいいのではないでしょうか・・・(^.^)
2012年09月30日11時09分
hisaboさん、コメントありがとうございます。 お褒めのお言葉いつもありがとうございます。 ここはちょっと個人的に興味を持っているところで、帰りに必ず寄ろうと決めていました(^_^) やはり、この謎めいた歴史に興味を引き付けられますね。 機会を見つけてこの周辺をもう少し廻ってみたいと思っています。
2012年10月06日12時43分
mimiclaraさん、コメントありがとうございます。 この崩落がその時代のものかどうかは定かではありませんが、この辺一帯の山はあちこちで崩落している箇所があるようです。 今もって帰雲城の場所も特定されておらず、埋蔵金も含めて謎だらけのようです。 戦国時代、裏の歴史では金山の奪い合いが底辺にあったようですから、この帰雲城には相当の金が蓄積されていたようですね(^.^)
2012年10月14日15時57分
TR3 PG@
さて、先にupした白川郷の城山展望台からの眺望でキャプションに書きましたが、その萩町城の城主山下大和守が仕えていたのがこの帰雲城主内ヶ島氏なのです。 この内ヶ島氏、なかなかの実力者で、あの楠正成の末裔だとも言われており、近畿地方にいくつかの記録が残っているようです。 その内ヶ島氏が何故この山深き地に城を構えていたのか・・・どうも金に関係があるようです・・・。 つまり、この白川郷一帯でその昔砂金が採れ、その金で財を築いていたようです。 噂の域を出ませんが、足利義政が造営した「銀閣寺」の資金も内ヶ島氏が献上した・・・等という話もあります。 一方、織田信長亡き後、秀吉の越中攻め、飛騨攻めの時にもこの内ヶ島氏の名が出てきます。 内ヶ島氏は越中の佐々成政に組みしていましたが、何故か、越中、飛騨とも制圧されたものの、内ヶ島氏の白川郷一帯は安泰のまま残りました・・・。 噂では金の力で・・・とか(^.^) その後、その財力とともに一瞬のうちに消滅した内ヶ島氏・・・これが埋蔵金伝説を生みだし、いまも語り継がれているもとなのです。 どうです? 埋蔵金でも探してみますか?(^.^)
2012年09月22日18時58分