TENtenko
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蝶 西条八十 やがて地獄へ下るとき、 そこに待つ父母や 友人に私は何を持って行かう。 たぶん私は懐から 蒼白め、破れた 蝶の死骸をとり出すだらう。 さうして渡しながら言ふだらう。 一生を 子供のやうに、さみしく これを追ってゐました、と。
ninjinさん、気にかけていただきましてありがとうございます。 この写真は珍しく撮って出しで、撮影時の設定でいってみようと思いました。やはり、地味だったかなと思いキャプションを考えて色を添えた感じです。 これは、村野四朗の詩の本に具体例として採用されていた詩です。若いときに読んで、未だに詩を読む上で参考にしている本であります。「詩は比喩が命である」とおっしゃっていました。詩に限らず魅力的な文章には比喩が上手に使われていますね。 地獄、青ざめ破れた蝶の死骸、さみしく……といった言葉にセンチメンタリズムに憧れる若い心が引きつけられたのでしょう。しかし、一生追い求めるものがあることは意味のある人生であったに違いありません。詩人の密かな自負心と満足することなく一つのものを追求していこうとの向上心の裏付けがあると思います。しかし、その夢は達成することのできるものであろうか。不安もよぎります。
2012年09月11日19時45分
酔水亭さん、ありがとうございます。 うす曇りだったので。 写真は荒削りでいいものはまだ撮れませんが。タイトルやキャプション、いただいたコメントに対するお返事などを楽しんでおります。
2012年09月21日14時14分
ninjin
自らと生き方を同じくする詩人の言葉を惹かれたのでしょうか? でも小生は「一生を子供のやうに、楽しくこれを追ってゐました、と。」 詠いたい。
2012年09月09日19時15分