苦楽利
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市立図書館の写真関係の書棚から、「ぼくの植え方」(エドワード・レビンソン)という本を何気なく借りてきて読み始めました。素敵な記述に出会いましたので、引用しておきます。カメラマンの著者は桜を撮ることに対して、「つまり、カメラか、それとも単に心の眼によって、良い部分を選んでトリミングして桜の美しさを愛でる、というぼくなりのやり方を追求するのである。善きものに焦点を当てる。悪しきものを省く。これは自然ばかりでなく、人間の見方へのぼくの隠喩である。」
こんな木があるんですね。森の監視人でしょうか。これも隠喩ですね。ただ善きもののみに焦点を当てるというところが、どうなんでしょう。少し考えさせられました。
2012年08月31日19時54分
白樺の節をまなざしに。 キャプションに語られている思いと、写真とタイトルとに、うまく意味を重ねられて、面白いです。 ほんとうに、何かを見つめるまなざしのようですね。
2012年08月31日21時34分
叔母の家の裏庭に、このように目がある木があったことを思い出しました。 昭和40年代のことです、懐かしく思い出しました。 やはり、素敵な背景が主役を引き立てていますね。 玉ボケの写真を撮ることができた時は、見てください。何時のことになるかわかりませんけど・・
2012年08月31日22時14分
本当に「目」に見えますね。 それも、強い意志をもった目に。 興味深い記述ですね^^ スタイル、スタンスはそれぞれでしょうが、 綺麗なもの、以外に焦点を当てることも必要かな? って思ってみたものの、私も結局、善きものに焦点を… 人間への見方も、そのように考えれたら、憎みあわなくて良いかもしれませんが、 なかなか、自然とちがって悪いところばかり目に付いてしまいますね^^;
2012年09月01日09時38分
アハっ ^^ 森の防犯カメラと言ったところでしょうか。。。 確かに、目線を感じる部分がありますね~ (^^ゞ って、ただのスナップ的一枚かと思えば、 しっかり背景はキレイな玉ボケの演出がなされていますね ^^
2012年09月01日18時32分
なるほど、、 言われてみたら確かに自分が善いと感じるものを被写体として切り取っていますね^^ 人生も良いものだけを切り取る事ができたらどんなにいいか^^; だからこそいい物だけを切り取れる写真に救いを求めるのかも、、 そう感じました^^v
2012年09月02日17時07分
hattoさん、コメントありがとうございます。 白樺の枝の落ちたあとが目のように見えるのはよく見かけます。 あまり撮らないのですが、この日は、なんとなく撮りました。
2012年09月06日07時26分
Teddy_y
善きものにのみ目を向けると言うライフスタイルには共感するところがありますね。 ポジティブなものの考え方で、写真もこの様に撮りたいものです。 瞳の奥が何かを語っているような樹ですね。
2012年08月31日18時31分