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またまた、獅子舞です。 東京都奥多摩町、小留浦の獅子舞は、集落の鎮守・山祇神社に奉納するものです。当日はまず山祇神社へ参詣して、次に集落内の秋葉神社、鹿島神社などへの奉納舞を併せて行うものだそうで、以後は急な斜面に開けた狭い慈眼寺の庭で舞われます。お寺の庭で獅子舞するなんて珍しいですね。この獅子舞は地域の演芸会を兼ねているような面もあって、獅子舞の合間にすてきな演歌をバックに踊りが披露されたり、地域ののど自慢が出演されたり。皆さんは飲んで食べて楽しく観覧されています。
ginkosanさん、ありがとうございます。 たしかにおもしろいですね。獅子ですからもともと想像の産物でしょうが、やはりライオンが元なんでしょう。しかし、角なんか生やしちゃってますが。 ほかの獅子舞の獅子頭とは少し違って、なんかアフリカのどっかの部族が儀式で被るマスクのような印象もあるような気がします。異国の雰囲気が感じられるデザインですね。
2012年08月29日22時10分
獅子頭の違いが気になって検索したら以下のような記述を見つけました。 高水山に所蔵されている「日本獅子舞之由来」と題する巻物によると、 1245年3月節句の夜、宮中で御宴が催されたおり、一天にわかにかき曇って雷鳴とどろき、天地震動したかと思うと、ものすごい光り物が飛んで来て紫宸殿の庭へ落下した。参列していた客は大いに驚き恐れたが、よくよく見ると三つの動物の頭らしき物であった。 しかし、誰一人としてこれが何物であるか判らず、「かような物が宮中へ飛来するのは天下騒乱の前兆であろう。ただちに海へ捨ててしまえ」ということになったが、天皇の命令で石清水八幡に占ってもらったところ、「これぞ南天竺の洞ヶ岳に棲む獅子という動物の頭で、この獅子の頭が我が国へ飛来したことは希有の吉兆である。この三つの頭をかぶり舞うときは、日本国は永久に天下泰平であろう」とのことであった。 そこで、下総国の角兵衛という舞の上手な者が弟の角内・角助と共に宮中に招かれ、獅子頭をかぶって勇ましい舞を演じた。というようなことが書かれており、全国的にも同様な説話となっている。 ……「高水山獅子舞の解説」より抜粋
2012年09月04日05時09分
ninjinさん、ありがとうございます。 角兵衛獅子調べました。あれは不作で苦しむ寒村で、生きるために子供たちに曲芸を習わせ見世物とし糊口をしのいだという行いが発達・伝播した……というようなことがありましたが。そのまたルーツがninjinさんのお話なんでしょうね。 角兵衛獅子は獅子頭も小さく曲芸の様相が色濃いですが、関東に点在する三匹獅子舞は獅子頭は大きく重く、神事として発達した感があります。そもそも角兵衛たちはどんな舞の名手だったのでしょうか。関東に下総に現在の三匹獅子舞のルーツとなるような舞があったのかも知れませんね。それ故、その舞の名手としてはるばる宮中に招かれたかもといえるかもしれません。三匹獅子舞が宮中を中心とした近畿地方では発達せず、下総国・関東で発達したのもおもしろいです。 大変興味深いお話、ありがとうございます。
2012年09月06日20時49分
ginkosan@静養中
獅子舞の面、他では余り見かけない タイプで面白いですね^^
2012年08月27日19時48分