TR3 PG@
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原爆投下から67年目の夏・・・黙祷 先日、広島に行った時、宮島で夕暮れ、夜景をとも思ったのですが、原爆死没者慰霊碑にお参りし、この絵を撮りたく市内に戻ってきました。 平和記念公園はひっそりと静まりかえり、慰霊碑を通して平和の灯、原爆ドームがトワイライトブルーに浮かび上がっていました。 原子力の行く末を真剣に考えなければならない時がようやく来たように思えます。
ここは 私達がこれからの原子力政策を 考えるにあたっての 原点だと思います 同じ過ちを繰り返してはならないのに 今、大きな転換点にきているのに なぜ 正しい判断ができないのか・・・ なぜ 決断ができないのか・・・
2012年08月06日12時18分
戦争の歴史を結構勉強してきました。そしてどういう訳か、広島出身の家内と結婚しました。その両親も被爆者で、幸い何とか二人とも70過ぎまで生きてきました。(義父は76歳で4年前に死去)そんな環境ですので、他人事ではありません。広島県人の団結心はこのことからきている様に思います。
2012年08月06日14時18分
子どもの頃に訪れた原爆資料館がとても恐ろしかった記憶があります。 私を含め広島、長崎以外の日本人はこの現実に目をそむけていたのかもしれません。だから同じ事を繰り返した。 心のどこかに「もう、あんな事は無い」と思っていたのかも。思いたかったのかもしれません。
2012年08月06日20時09分
核はあるがままに在り、 結局は人間の都合でいいように使われているだけ。 「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませんから」 この言葉の重さをこころに刻み込みたいですね。
2012年08月07日06時18分
黒おじさんさん、コメントありがとうございます。 広島、長崎ほどの多くの犠牲者はいなくとも、終戦間際の無差別爆撃によって日本各地の都市でも多くの方々が犠牲になっておられますよね。 実は、私の住んでいる富山でも富山市が8月1,2日の無差別爆撃で市街地の99.5%が焼失し、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかったそうです。 ここで余り知られていないのは、これに先立つ7月20日に模擬原爆が富山市に3発投下され、また7月26日にもも一度投下されていることです。 投下した機体は8月9日に長崎市に原爆を投下したボックスカーであったとされていますが、広島や長崎への原爆投下に先立って、投下訓練を富山で行っていたという ことになるわけです。 そういう意味で、富山の人は原爆に対して結構思いを強くする人がおり、やはり大空襲の日や広島、長崎の平和祈念日に手を合わせている人を見ることがあります。 こうやって考えると、平和のありがたさをつくづく感じる時期ですね。
2012年08月07日20時59分
YSKJIJIさん、コメントありがとうございます。 はい、ノーモア ヒロシマ ナガサキ ですよね! 黒おじさんさんへのレスにも長々と書きましたが、ここ富山が原爆の投下訓練になっていたこともあり、他人事ではない思いがあります。
2012年08月07日21時00分
晴桜(晴BON)さん、コメントありがとうございます。 原子の力を人間が手に入れたことにより、神は人間を試されているように思えます。 よく歴史は繰り返されると言われますが、歴史は人間が作り上げているものですから、悪く言えば人間が繰り返しているということになりますね。 完全にコントロールできない原子力・・・この繰り返しの中に入れて欲しくはないですよね。
2012年08月07日21時00分
雅(みやび)さん、コメントありがとうございます。 原子爆弾と原子力を同一目線で論じることに、関係者は異論を唱えるでしょう。 でも、完全にコントロールでききれない原子の力をこのまま使い続けるのか・・・ いろんな立場、いろんな利権が渦巻く中で、かつてこれほど関心が高まっている時はないでしょう。 誰が判断するのか、誰が決断するのか・・・それは我々でしょう、きっと!
2012年08月07日21時00分
eng☆nukadaさん、コメントありがとうございます。 はい、ヒロシマが8月6日、ナガサキが8月9日・・・その前の8月1日2日が富山でした。 暑い夏・・・忘れえぬ記憶でしょうね。
2012年08月07日21時02分
hatto06さん、コメントありがとうございます。 奥様広島ご出身でしたよね・・・やはりご両親は被爆者でしたか・・・。 必然的にこの日は特別な日となっていますよね。 実はうちの娘が広島(といっても東の方ですが)に嫁いで子供ができました。 その孫が毎年この時期になると保育園で原爆の話を聞き、私に語ってくれます・・・。 広島の人々にとっては共有されているんですよね、この大事な出来事は。
2012年08月07日21時02分
mi~*mi~*さん、コメントありがとうございます。 私も中学校の修学旅行で訪れた原爆資料館が忘れられません。 あの惨劇を再び繰り返さない、繰り返したくないとの気持ちは当時のまま持ち続けていますが、仰るように当事者でない多くの日本人が他人事のように思っているのが現実でしょうね・・・。 しかし、現実はそんなに甘くない・・・同じ原子力でも平和的といわれる原発も自然の脅威には脆いものであることが明確になりましたしね。 ここはしっかり議論をして判断する時期に来ているでしょう!
2012年08月07日21時03分
シロエビさん、コメントありがとうございます。 はい、確かにそう刻まれていますね! 晴桜(晴BON)さんへのレスにも書きましたが、「よく歴史は繰り返されると言われますが、歴史は人間が作り上げているものですから、悪く言えば人間が繰り返して いるということになりますね。」・・・ そうならないよう、我々自信が努力していかなければならないでしょう。 できることを一つでも!
2012年08月07日21時04分
もう67年も経つのですね 子供のころはこの時期になると 戦争についてテレビで様々な形で放送されていましたが いつからかまったくされなくなってしまいましたね テレビをつければバラエティばかり 平和なのか平和ボケなのか
2012年08月07日22時59分
今年は、アメリカ大使の列席など、大きな変化も見られました。 少しずつではありますが、意識の変化も感じられないでしょうか。 繰り返してはならない過ちだと思いますから。
2012年08月08日10時57分
N.S.F.C.20さん、コメントありがとうございます。 日本では風化しつつある戦争の悲惨な体験ですが、世界で見るといたるところで繰 り返されていますよね。 唯一の被爆国である日本が率先して核の脅威をアピールし、そして原子力政策の見 本を示さなければいけませんよね。 どうも思い切った政治ができない・・・やばいですよ(^_^;)
2012年08月09日21時19分
shokoraさん、コメントありがとうございます。 はい、原爆と原発・・・一方は非平和的、もう一方は平和的な原子力の利用方法といわれていますが、基本は同じ・・・ 毒も薬になることは確かにありますが、人間って原子力を完全にコントロールできているとは思えませんね。 世界各地で繰り返される内紛、戦争・・・ もっと日本がやれること、いややらなければならないことがあると思いますが!! そのためには国民の一人一人がもっと声を大きくして国を動かしていきましょう!
2012年08月09日21時19分
mi-yanさん、コメントありがとうございます。 科学技術の発展が人間を豊にしているのは間違いありません。 が、そこに政治力、経済力が働き、ゆがめられた使い方が繰り返されているように感じます。 歴史は繰り返される・・・いや歴史を作っているのは人間ですから、この「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませんから」という言葉の重みを今一度噛みしめたいですね。
2012年08月09日21時20分
羽晴琉さん、コメントありがとうございます。 はい、もう67年も経ちました・・・ 家族にも戦争の恐ろしさを語る世代が少なくなり、TVでの放映も少なくなり、風化しつつあるように確かに感じますね。 一方で、原爆を受けた当事者である広島、長崎ではしっかりと県民の教育の場で語る継がれているのも事実です。 今ほど原子力についての議論が高まっている時はありません。 このお盆休みはその思いを今一度確認してみる必要があるのではないかと思っているところです。 今日は長崎の平和記念日です・・・合掌
2012年08月09日21時27分
hisaboさん、コメントありがとうございます。 はい、アメリカ側の認識もかなり変わってきたようですね。 これまでは戦争を終わらせるためには必要だったとの認識が多かったですからね。 でも、これは意識的に誘導された認識だと思います。 オスプレイの問題も同じようなロジックではないでしょうか。。。 いずれにしても過ちであることは間違いありませんからね。
2012年08月09日21時47分
TR3 PG@さんの思いが詰まった1枚ですね。 私の母は川崎の空襲を逃げた幼い日の想い出を良く話てくれました。 年老いた今は、時々夜にうなされているときがあり どうもその頃の夢を見るようです。 戦争は決して繰り返されてはいけません。
2012年08月11日15時37分
まこにゃんさん、コメントありがとうございます。 やはり広島というと原爆が真っ先に思い浮かべます。 最近、地元の富山市空襲で原爆の模擬弾投下の訓練をしてから実際に広島、長崎に原爆投下されたと知りました。 そういうこともあり、今回の広島行きでは是非平和公園でお祈りしたいと・・・。 お母様も大変な中をくぐり抜けてこられているのですね。 あの体験は一生忘れることが出来ないでしょう。 少しでも耳を傾けてあげて気を楽にさせて上げて下さい。 私たち、そして子供、孫、さらにはその先の世代まで戦争という過ちを繰り返さないようにしたいものですね。
2012年08月12日18時15分
mimiclaraさん、コメントありがとうございます。 はい、どんどん戦争体験者がいなくなって世代が変わってきていますよね。 σ(^_^)の父ももう数日で舞鶴から戦地に向かうところで九死に一生を得ていますが、兄弟はニューギニアで戦死しています・・・。 母の兄、伯父はシベリアに何年も抑留され、一言もその時の体験話をせず昨年無くなりました。 よほどの苦しい体験だったのでしょう・・・。 領土問題も毎日のように新聞の一面を賑わしていますが、かつての過ちを犯さないようみんなで牽制しないといけないでしょう・・・。
2012年08月26日11時21分
YSKJIJI
忘れてはならないですね。 合掌です。
2012年08月06日07時52分