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立て看板には「SINCE 1958」の文字。そんなに長い歴史があったとは。 先日、出張で乗った AIR DO の機内誌に、富田ファームが特集されていました。 そこで語られていた物語を、コメントに続けます。
農業経営の厳しさを教えてくれるようにお話ですね。 北海道のような大規模の場所でもそうなんですね。 信州では、耕作放棄地が増えて、熊や鹿が里まで下りてくるように なってきました。
2012年07月26日20時57分
ぱんだや さん、 夏の富良野のラベンダーは、やっぱりなにか特別ですよね。 苦楽利 さん、 耕作放棄地ですか・・・。切ないですよね。 日本の農家の存続を願うばかりです。でも、若い人の中には、農業をやりたい人も増えて来ている、なんていう話もあり、期待したいところです。僕も早期リタイヤして、農業やるのも悪くないかな、なんて考えることがあります。
2012年07月26日22時28分
ほんと御苦労されたんですね。 DISCOVER JAPANのポスターになり、 認知されて御苦労も報われたと思います。 mizunaraさまのお写真に、 そんなエピソードを念頭に撮られたような感じがします。 北海道に行く機会は、もうないかも知れませんが、 私にとっても、ここが北海道の風景の原点のような気がします。
2012年07月29日08時41分
YSKJIJI さん、 富良野のラベンダーが特別な情景になるのは、この景色の持つ力だけではなく、係る人々の思い入れの深さもあるんでしょうね。 それに、ラベンダーが見頃になる時期は、北海道の夏の8合目といった頃で、夏の気分が最も盛り上がる時期に重なるんです。それもまた、特別な感情をわき起こすのかもしれません。
2012年07月29日19時54分
mizunara
香水需要を受け、富良野に広まったラベンダー栽培。しかしその後需要は低迷し、低価格の輸入物にも押され、出荷が激減。富良野からもどんどんラベンダー畑が消えて行った時期があったそうです。 富田ファーム創始者の富田さんも、ラベンダーに惚れ込み栽培を始めていましたが、採算が合わず限界に。家族で話し合い、苦渋の末に畑をつぶすことに決め、トラクターでラベンダー畑に踏み込みましたが、4m ほど進んだところで、悲しくて進めなくなりました。気が付くと家族みんなが富田さんのトラクターのまわりに集まって黙ってうつむいていました。もう一年だけやってみよう。家族でそう決めて、ラベンダー畑は残された ーーーー そんなお話です。機内で涙こぼれそうでした。^^ 僕も、毎年は行けませんが、これまでの人生、折々でこの場所には、お世話になったなぁ。感謝です。
2012年07月24日23時30分