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石川門の入り口、高麗門の軒下から見た楼門の堀側を見上げた写真です。 石川門は金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、直角に位置する櫓門の二の門、それらを囲む続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。 搦手門というと多くの城では規模が小さいものですが、金沢城の石川門は兼六園へと繋がる門で、正門と見間違えるよな立派な構えです。 金沢大学が郊外に移転してから、金沢城復元事業が積極的に展開され、五十間長屋、橋爪門続櫓、河北門等続々と復元されてきていますが、やはりこの石川門は昔からの金沢のシンボルですね。
大手門より搦手門の方が豪華といいますと、実際には大手門は、昔はもっと豪華だったということでしょうか。 流石の前田家ですね。この様な壁も他で見たことが有りません。色々勉強になります。有難うございます。
2012年02月12日11時31分
宮爺さん、コメントありがとうございます。 そう言われれば・・・確かの漆喰のマスの中の色合いが違いますね・・・。 ・・・ ちょっと調べてみました。 金沢城の特徴として、鉛瓦となまこ壁と黒い隅柱があるそうです。 いざと言うときに鉄砲の弾にするという鉛瓦は知っていましたが、なまこ壁の違いは分かりませんでした。 平瓦を漆喰で固める工法とかで、その平瓦の色が今回気づかれた色につながっているようです。 また、黒い隅柱ですが、写真でも見える櫓門の角の柱が鉄板で保護されているようです。 一般的に、城郭の隅柱は防火上、壁に塗り込むのが普通ですが、あえて黒い鉄板張りにして外に出すことにより、白壁が引き締まり、優美さの中に力強さが生まれることを狙っているそうです。 ん~ん、σ(^_^)も勉強になりました(^^ゞ
2012年02月13日20時16分
hatto06さん、コメントありがとうございます。 どうも大手門は正式には残っていませんね。 後日upした河北門が大手の方面から上がってきての実質の正門だったようです。 河北門はつい最近復元されましたが、石川門とほぼ同じレベルの門だったようです。 壁も含めて金沢城の特徴は宮爺さんへのレスに書きましたが、他の大名の城とは違った贅沢で華麗な城を築いたことが分かりました。 さすが加賀百万石の大大名だったのですね。 ところで、加賀百万石と言われますけど、初期の頃は百二十万石以上はあったというのが余り知られていません。 富山藩や大聖寺藩など分藩しているのと、支藩として今の群馬県に上野七日市藩があったので、結果的に本家加賀藩として百万石となったと言うわけです。 ちなみに・・・σ(^_^)の住んでいる富山県は、そのほとんどが加賀藩だったのですよ(^_^)
2012年02月13日20時18分
まこにゃんさん、コメントありがとうございます。 言われてみて初めて気づいた特徴あるなまこ壁でした。 私はン十代でもここまで注意して見ていませんでしたよ(^^;ゞ やはり現地へ是非お越し下さいね(^_-)
2012年02月14日21時19分
hisaboさん、コメントありがとうございます。 この石川門、枡形門という構造上の制約もあり、なかなか切り取りが難しいのですよ(^_^; で、苦肉の策として一の門の軒を入れて二の門の端、そして石垣を入れてみました。 そしたら結構格好もついたかと思い、このタイトルに(^.^) hisaboさんの重文の切り取り楽しみです♪
2012年02月18日18時34分
宮爺
なまこ壁の色に特徴ありですか?
2012年02月12日10時26分