ち太郎
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付近を探し回ったらこのお店に新田裏というネームを発見しました。 もうこれしか残っていないのでしょうか?寂しいです。 ↓以下に続きます。 長くなりますのでご興味のない方はスルーをお願いします。 撮影モード:プログラムオート ズーム55mm付近 Lomo EARL GREY100
おはようございます。 朝から読破しました(笑) "しんでんうら" でよろしいでしょうか。 土地勘がないのでよく分からないのですが要は昔田んぼがあって そこに川(用水)が流れていたと。。 戦前からの話になりますので恐らく長閑な田園であったであろうことは想像に値します。 ただ現在の姿からは想像もつかないですね。 地名を辿ると必ずそこには由緒が隠されているものです。 もう今となっては知る人もいない川の存在、 歴史を掘り下げてゆくと店の名前にその地名が残されていることは実在の証でしょうね。 しかしよく調べられましたね。 さて、、 東京と言う名の街、変わりゆく時代とともに 人々の記憶から消え去る日も近いことでしょう。 もう戻ることのないその姿に悲しい都会の現実を見る思いです。 2025.12.10. Wed. 君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には 心の底から誰かを 愛することが出来るはず… TeaLounge EG
2025年12月10日11時04分
明治通りから直ぐの脇、文化センター通り沿いが新田裏ですね。 日清食品の本社ビルが交差する角地にあります。内藤新宿が膨れ 上がり、新たに開墾した土地なのでその名が付いたということで すが、新田というからには、移住してきた人達は田圃を作りきっ と稲作をしていたのでしょうね。現在の新宿六丁目界隈、都営大 江戸線東新宿駅の南側辺りでしょう。2008年の地図では「ラ イオンズガーデン」になっていましたが、それが丸々新宿イース トサイドスクエアになったようです。旧町名のルーツは面白い探 索です。交差点の標識、新田裏表示は記憶にあります。
2025年12月10日17時43分
ち太郎
ここにはかつて蟹川(現花園通り)が流れていました。蟹川の水源(源流)は歌舞伎町とも、その先の西新宿七丁目付近とも言われていますが定かではありません。 かつて歌舞伎町にあった広場の池はその水源の象徴であったとも言われています。 一部は北側の大久保・早稲田方面から、一部は太宗寺(新宿2丁目)からこの低地である蟹川に合流していたのは資料にもあり間違いないと思います。 しかし、蟹川(現花園通り)を西に進むと現在はJRで塞がれてしまいます。が、そのJRに突き当たる部分が一番低いと判明しており、JRより西側に源流が続いていたことが考えられます。 西新宿に大きな池があったと言う記述もあり、それが蟹川に繋がる水源かもしれませんが、ではその池が水の溜まるような低地であって、どこから水が来ていたのかは解明が不足しているのですね。自然に水が湧き出ることはないと思いますから。 さらに西側は神田川領域であり、以前写真も撮りました十二社(西新宿四丁目)弁天池と言うのもあります。そちら側にも水は流れて行ったでしょう。 私が思うには、ヒントは玉川上水では?と。 どんどん四ツ谷方向に流してしまうのはなく、玉川上水に流れる水を調整する分水点のような一種の機関を設けてあったのではないかと考えると辻褄が合うのです。 初台付近まで玉川上水はオープンの手掘りでの「川」であったことは私の記憶にもあります。 この西新宿の隅っこ=初台に近い場所で調整にて流れ出た水が西新宿にあった大きな池に溜められ、それから流れ出る水が蟹川の源流であった。 雨が降ったりすれば途中で水量も増えてしまうと考えられます。 前出の水源の一つである太宗寺(新宿2丁目)もすぐ横を玉川上水が流れていたので、こちらも調整弁のような分水点があって、関与しているのではないかと。 さてどうでしょうか?
2025年12月10日08時24分