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2006年中国の旅1 岩画や西夏文字…@寧夏回族自治区・銀川

2006年中国の旅1 岩画や西夏文字…@寧夏回族自治区・銀川

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    入場門近くにはお土産屋さんが並んでいますが、その内の一軒を覗いてみました。 このお店は背後の賀蘭山に点在する岩画をモチーフとした石刻板や西夏文字を刻んだ石板や印鑑などを手彫りしてお土産にしていました。 以前に洛陽で石彫をお土産にした時、荷物となって重かったので、今回は見るだけです…(^^ゞ この岩画や西夏文字についてはコメント欄にて少し説明しておきます…

    コメント1件

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    岩画は「賀蘭山岩画(がらんざんがんが)」と言われるもので、ここ西夏王陵地区から約30㎞程北の賀蘭山脈に点在する岩に刻まれた絵や抽象的な記号です。 紀元前1万年から紀元前3000年頃、新石器時代から春秋戦国、西夏時代にかけて刻まれた岩彫刻(ロック・アート)だそうです。 北方遊牧民族、西夏王朝、その他の民族が代々刻んだとされ、単なる絵ではなく、古代人の精神世界や生活を垣間見ることができる貴重な文化遺産とのことです。 一方、「西夏文字」はその名の通り西夏王朝(1038–1227年)が独自に制定した文字体系で、タングート族の言語である西夏語を表記するために使われました。 漢字に似た外見を持ちながらも、構造や意味はまったく異なる、非常にユニークな文字です。 漢字に似た造字で、偏・旁・冠などの部品を組み合わせて意味を構成し、複雑な筆画で最も画数が少ない文字でも4画、多いものは20画以上もあるそうです。 漢字のような象形的起源ではなく、概念的・構造的に設計されたもので、音を表す要素は少なく、意味を伝えることに重点が置かれている、かなり高度な文字だったようです。 漢字文化圏にありながら、独自の文字を持つことでタングート族の独立性を示し、仏教経典の翻訳に使用されたとのことでした。 1227年に西夏が滅亡した後も、一定期間使われ続けたそうですが、その後廃れた文字でした。 が、20世紀に入ってロシアのニコライ・ネフスキーや京都大学の西田龍雄らによって解読が進み、辞書まで編纂されたとのことです。

    2025年11月19日07時28分

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