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    1935年に登場したKodak KODACHROME スライドフィルム。物語はコメント欄へ。 1985年の50周年記念シール。 便利さに囲まれた現代だからこそ、1枚の色に命を吹き込んだ技術の存在を忘れたくない―― 120フィルムは(コダック プロフェッショナル T-MAX400)関係ありません

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    1935年、アメリカで生まれた“色の革命” 1935年、写真の世界にひとつの革命が起こりました。アメリカのコダック社が発売した「コダクローム(Kodachrome)」という新しいタイプのカラーフィルムの登場です。 このフィルムは、それまでのカラー写真とは比べものにならないほど鮮明で、色彩豊かで、細部まで美しく写るという性能を持っていました。しかも、アマチュアでも扱えるよう設計されており、写真愛好家からプロの報道写真家まで、瞬く間にその魅力に引き込まれていきます。 これまでのカラー写真が「特殊な技法」や「プロだけの道具」だったのに対し、コダクロームは初めて大衆に開かれた本格的なカラーフィルムだったのです。 科学者2人が築いた、コダックとの共同開発 コダクロームを生み出したのは、コダックの社内研究者ではありませんでした。 その開発者は、レオポルド・ゴッドウスキー・ジュニアとレオポルド・マンネスという、ふたりの音楽家にして化学者。実は、彼らはティーンエイジャーの頃から映画の色彩表現に強い関心を持ち、独自にカラーフィルムの研究を始めていたのです。 1922年、ふたりはアメリカ・コダック社の技術責任者に自らの試作品を披露し、その後コダックの支援を受けて1924年には正式に研究所を設立。共同研究が本格的にスタートしました。こうして、音楽家たちの情熱と大企業の技術が融合していきます。 そして1935年、ついに16mm映画用のコダクロームが商品化。翌1936年には、静止画用35mmフィルムとしても市場に登場しました。 このフィルムの背景には、単なる化学技術の進歩だけではありません。 「もっと美しい色を、誰もが記録できる時代をつくりたい」 ──そんな2人の表現者としての情熱があったからこそ、コダクロームは単なる発明品ではなく、映像と写真の世界そのものを塗り替える革新となったのです。 ネガフィルムは、C-41プロセスという一般的な現像方式で処理できます。多くのラボで対応している“標準的なフィルム”です。 一方、リバーサルフィルムは専用の現像方法が必要です。 通常のリバーサルフィルム:E-6プロセスで現像 コダクローム(Kodachrome):K-14プロセスという特殊な現像方法で処理 コダクロームは、一般的なフィルムのように手軽に現像できるものではありませんでした。撮影したフィルムは、コダック認定の専用ラボに郵送し、特別な工程で現像してもらう必要があったのです。 それでも多くの人が、この手間と時間をかけてでもコダクロームを使い続けました。コダクロームでしか残せない色がある──それが、彼らがこのフィルムにこだわった理由でした。 現像で色を“注入”するK-14プロセス コダクロームの現像には、K-14プロセスと呼ばれる非常に高度な化学処理が用いられていました。 この工程では、各感光層に対応した色素(染料)が現像液との反応によって“あとから”生成されるようになっています。赤、緑、青の各層に、必要な色素だけが正確に付着し、余分な成分はすべて除去される仕組みです。 「コダクロームならではの色味」として知られる独特の発色も、実は単なる感性ではなく、科学的に設計されたフィルム構造の結果だったのです。

    2025年09月27日08時02分

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    コダクロームが“伝説のフィルム”と呼ばれるようになった最大の理由は、その画質と色彩の美しさにあります。 多くの写真家たちは、その粒状性の少なさと、自然で深みのある発色に魅了されました。 たとえば『ナショナルジオグラフィック』や『LIFE』誌で掲載された名作写真の多くが、コダクロームで撮影されたものです。なかでも写真家スティーブ・マッカリーによる**『アフガンの少女』**は、コダクロームを象徴する作品として世界的に知られています。 赤は赤らしく、青は深く、緑は柔らかく――そうした**“人間の記憶に残る色彩”を再現できる**点が、プロフェッショナルの信頼を集めた理由でした。 コダクロームはK-14プロセスという極めて複雑な工程を必要とし、対応可能なラボは世界に数えるほどしかありませんでした。 この制約はデジタル写真の普及とともに深刻化し、現像設備の維持コストが重荷となっていきます。そして2010年、アメリカ・カンザス州のDwayne’s PhotoがK-14処理の最終受付を行い、コダクロームは静かに幕を閉じました。 もはや撮影できても現像ができない――それは、フィルムとしての死を意味していました。 写真家スティーブ・マッカリーによる**「最後の1ロール・プロジェクト」。 彼はコダックから受け取った最後の1本を手に、世界各地を巡りました。ニューヨーク、ロンドン、インド、そしてアメリカ・カンザス州の最後の現像所へ──。 36枚すべてのコマを、“この1枚で何を残すか”**と自らに問いかけながら、一枚ずつ丁寧にシャッターを切っていったのです。 1本のフィルムに込められた“思い”を、最後の最後まで大切に使い切る。 この行為そのものが、いまでは失われつつある文化かもしれません。 しかし、コダクロームを知る人々にとって、それは**“色を残すこと”の意味をあらためて問い直す儀式**でもありました。 色彩感覚は後年のカラーネガフィルムやデジタルセンサーの色設計にも引き継がれ、人間の「好ましい色」=記憶色の土台になっていきました。 つまり、コダクロームは単なるフィルムではなく、私たちが“色を見る目”そのものを育てた技術だったのです。 スマートフォン1台で4K動画も高解像度の静止画も手軽に記録できます。けれど、その反面、“1枚の写真に込める時間や意味”が薄れてきていると感じる人も少なくありません。 コダクロームで撮影するには、露出・構図・光の入り方を考え抜いた上で、フィルム1枚に「価値」がありました。現像にも時間がかかり、結果を見るまで何日も待つ。そのプロセスは決して効率的ではないけれど、“何を撮りたいか”を真剣に向き合う機会を自然に与えてくれたのです。 だからこそ今、コダクロームを振り返ることは、**「写真とは何か」**という問いに立ち返ることでもあります。 便利さに囲まれた現代だからこそ、1枚の色に命を吹き込んだ技術の存在を忘れたくない―― コダクロームは、その静かな問いかけを、いまも多くの人に投げかけ続けているのです。

    2025年09月27日08時03分

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