いなかっぺ928
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済生館は1878(明治11)年に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工した。 「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名によるもの。 東北地方で早く西洋医学を取り入れ、診療のほかに医学校が併設され、オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。経営の問題から民営となり、その後、1904(明治37)年4月には、山形市立病院済生館となったとのこと。