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可愛いだけじゃダメですか(=^・^=)

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    B

    「ダメなんです!カメラは┗|`O′|┛」という事で衝動買いしました1955年Vigtländer VITO-B レンズもボディも分解 清掃・注油完了しました<(_ _)>しかしです このカメラ コンパクトさを追求する余り無理な構造に_(_^_)_マネキーも「これヤバいんじゃない?フィルムも高いし レンズだけ使ってみたら」と 組み立て断念!手持ちのM42ボディキャップ&ヘリコイドアダプターにニンハオ~^0^安いよ買ってね550円!M42-Eマウント入手 COLOR-SKOPAR3.5/50改 完成\^0^/

    コメント2件

    二ゲルおじさん

    二ゲルおじさん

    先日コメントや質問にご協力頂きました体育委員長さん casamaruさんにお礼申し上げます <(_ _)> 大変役立ちました(=^・^=) 有り難うございます<(_ _)>

    2025年08月29日21時16分

    二ゲルおじさん

    二ゲルおじさん

    フォクトレンダーは このカメラVITO-Bが発売された翌年1956(昭和31)年大株主で実質経営権を行使していました化学メーカー・シェーリングよりカールツァイス財団に株式が譲渡され 社長にはコンタックスⅠを開発しましたハイツキュッペンダー博士が就任します<(_ _)> 製造面には静観の立場をとっていたのではないかと想像出来ます<(_ _)> このカメラが発売された1955/56年にはレンズシリアルNO台帳よりレンズ生産は伸びを見せますが57/58年と年を追うごとに急激に下降_(_^_)_  1960年よりVITO-Cシリーズに このCシリーズはカメラ構造を一新してオーソドックス造りとなっています<(_ _)>フィルムパトローネ室には138/2の文字が刻印されています<(_ _)>この数字はツアイスイコンが機種毎に使用します識別番号 このVITO-Cシリーズより設計・製造にはツァイス主導の元で行われたと推測されます<(_ _)> しかし時すでに遅しで61年には日本のCanonがコンパクト機部門に参入 全自動露出及び距離計連動 近代的スタイルで洗練され なおかつ低価格「キャノネット」が販売され この後オリンパスペンシリーズ コニカC35シリーズ ヤシカエレクトロ35シリーズと日本各メーカーが発売するコンパクト機が世界を席巻し ドイツカメラメーカーを駆逐してしまいます<(_ _)> フォクトレンダーは1969年ツアイスイコンに完全吸収され 1972年ツアイスイコン/カメラ製造中止解散 同年フォクトレンダー商標権はローライに譲渡 1981年ローライ倒産に伴いフォクトレンダー商標権はプルスフォトに移譲 1997年よりリングフォトが共同名義 1999年より日本コシナがフォクトレンダー通常使用権の許諾を獲得し現在に至っています<(_ _)> 長文失礼しました_(_^_)_

    2025年08月30日01時32分

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