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1985年8月12日午後6時56分、お盆の帰省客らを乗せた羽田発伊丹行き日本航空123便が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人が亡くなった。単独機の航空事故として今なお世界最悪の惨事。 JALグループ全社員は、安全憲章を記した安全カードを携行し、一人一人がこの憲章に則り、航空のプロフェッショナルとして日々の業務を遂行しています。
keaton2012さんの「センサークリーニング後...」にコメント 備忘録 komaoyo 2025年09月03日14時23分 風景は秋 列車の上部の青空にポツポツあったモヤッとした黒っぽい点の事が気になってセンサークリーニングされたんですね。 超音波振動でもない限り搭載のセルフクリーニング機能で落とせるのはフワッと付いたゴミ位で、ゴミそのものはセンサーの直ぐ近くにあるために再度くっ付く場合もありますよね。 霧状のものと一緒だったらセンサー表面を磨かないとですよね。 偶に青空♾️で撮ってチェックして、少しでも有ればクリーニングやってます。
2025年09月03日14時26分
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1985年8月12日午後6時56分、お盆の帰省客らを乗せた羽田発伊丹行き日本航空123便が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人が亡くなった。単独機の航空事故として今なお世界最悪の惨事。 原因は、製造元のアメリカ・ボーイング社による機体尾部修理不良と設計上の欠陥で、特に機体修理中に使用されたリベットの留め方が不適切だったことが明らかになった。本件事故やその後2000年代にJALグループが起こした安全上の不祥事がきっかけで国土交通省から事業改善命令が出され安全啓発センターが設置されるなど、航空安全および事故対策強化を求める動きを引き起こした。現在でも本件事故は航空安全の重要な教訓とされている。 2010年、戦後最大の負債額を抱えて経営破綻した日本航空(JAL)。誰もが不可能と断じたその再建を引き受け、見事に成し遂げたのが稲盛和夫さんです。奇跡のV字回復に成功した最大の理由とは何だったのでしょうか。(本記事は月刊『致知』2018年8月号 特集「変革する」より、佐藤信博さんと大田嘉仁さんの対談「かくてJALは甦った」を一部抜粋したものです) 「新・経営の神様」の呼び声高い稲盛和夫さん。京セラやKDDIを創業し、それぞれ1・5兆円、4・9兆円を超える大企業に育て上げ、倒産したJALの会長に就任するや、僅か2年8か月で再上場へ導いた、倒産当時のJALの状況をこう振り返っています。 「どの部署の人も言い訳しかしないんです。自分は一所懸命やってきたし、悪くないと。そしてあからさまに他の部署を批判するのが当時のJALという会社の特徴でしたね。 さらに問題だったのは、利益を追求し過ぎるとろくなことがないという考えが支配していたことです。航空業界は特殊なところで、利益を追求し過ぎると安全面にしわ寄せがくるし、組合員は賃上げを要求してくるし、国は運賃を下げろと言ってくる。だから、利益というのは出せばいいというものではないんだと」 この発言に対し、JALの生え抜き社員として、倒産当時は整備本部長を担い、後に稲盛さんのもとで、副社長に抜擢された佐藤信博さんはこう述べています。 「恥ずかしい話ですが、当時のJALではそれが正論だったんです。私が稲盛さんの言葉で最初に印象に残ったのが 『利益なくして安全なし』 という言葉でした。それまでは、飛行の安全を維持するためには、とにかくいい部品を使って、いい整備作業をやって、品質を高めていかなければということで、いまにしてみれば湯水のようにお金を注ぎ込んでいました。利益のことは他の誰かがやってくれているはずだという考え方だったんです」 JALグループは、企業理念のもと、安全の基本方針として、「安全憲章」を制定しています。この方針は、安全に関する経営トップのコミットメントとして、航空法に基づき安全管理規程に定め、国土交通大臣に届出を行っています。 JALグループ全社員は、安全憲章を記した安全カードを携行し、一人一人がこの憲章に則り、航空のプロフェッショナルとして日々の業務を遂行しています。 安全憲章 安全とは、命を守ることであり、JAL グループ存立の大前提です。 私たちは、安全のプロフェッショナルとしての使命と責任をしっかりと胸に刻み、 知識、技術、能力の限りを尽くし、一便一便の安全を確実に実現していきます。 そのために私たちは以下のとおり行動します。 ・安全に懸念を感じた時は迷わず立ち止まります。 ・規則を遵守し、基本に忠実に業務を遂行します。 ・推測に頼らず、必ず確認します。 ・情報は漏れなく速やかに共有し、安全の実現に活かします。 ・問題を過小評価することなく、迅速かつ的確に対応します。
2025年08月12日07時15分