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軽井沢万平ホテル

軽井沢万平ホテル

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    万平ホテルは1894年に創業し、避暑地軽井沢の歴史とともに歩みつづけるクラシックホテルです。 令和の大改装前の姿です。 SONY Cyber-shot DSC-RX10 Vario-Sonnar T* F2.8/f8.8-73.3mm

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    その昔、軽井沢は宿場町として栄え、浅間山を望む景勝地として知られていました。しかし明治に入り、宿駅制の廃止と碓氷新道の開通とともに衰退の一途をたどります。そんな寂れた軽井沢が生まれ変わるきっかけをつくったのが、カナダ人英国聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(以下、ショー)でした。 1886年(明治19年)ショーと、帝国大学の教師ジェームズ・メイン・ディクソンが万平ホテルの前身となる旅籠「亀屋」に滞在したことがすべての始まりです。その際、英語も西洋料理も知らなかった万平は懸命にもてなし、その体当たりの親切に感動した2人は、帰京した際、軽井沢の良さを広く宣伝したと言われています。 万平は今後の軽井沢でホテルの重要性が高まると考え、1894年(明治27年)に「亀屋」の屋号を「亀屋ホテル」に変更し、欧米風の外国人専用ホテルとして再出発します。さらにその2年後に外国人が発音しやすいよう「MAMPEIホテル」に改名しました。 万平ホテルが現在の地、桜の沢に移転してきたのは1902年(明治35年)。当時の建物は現存せず、現在のアルプス館は1936年(昭和11年)に「日光金谷ホテル」や「富士ビューホテル」などを手掛けた久米権九郎の設計により誕生します。 アルプス館完成の約5年後、太平洋戦争が開戦。戦後の一時期は、将校専用の休養向けスペシャルサービスホテルとしての役目を果たし、激動の時代を経て、軽井沢と共に歴史を重ねてまいりました。昭和40年代にはアタゴ館、アサマ館が増築、さらに2001年(平成13年)にはウスイ館を新築、国内外の財界人著名人などを数多くお迎えし、広くお客様に愛されてきました。2018年(平成30年)にアルプス館は登録有形文化財に登録され、2024年(令和6年)には創業130周年記念事業の大改修を経て、再び歩み始めました。 150年、200年先も記憶に残るホテルへ。 これからも変わらぬおもてなしでお客様をお迎えいたします。 万平ホテルは1894年に創業し、避暑地軽井沢の歴史とともに歩みつづけるクラシックホテルです。 きっかけは創業者・佐藤万平と宣教師たちとの出会い。初代万平は異国の地でも故郷で過ごすようにくつろいでもらいたいとの想いで西洋の文化を取り入れホスピタリティの精神で、心からもてなしました。 ホテルは人なり。 長年多くのお客様に愛されつづけてきたのは、創業以来から受け継がれる「万平ホスピタリティ」があってこそ。長い歴史の中で込められてきた先人達の“想い”を 150年、200年先へと繋いでいく。これからも変わらぬおもてなしでお客様をお迎えします。 約120年の歴史をもつこのクラシックホテルのアルプス館128号に、ジョン一家が毎年ステイしていたことはあまりに有名。ファンなら、一度は訪れたい場所なのだ。 音楽活動休止中だった1976年から1979年まで、ジョンは妻のオノ・ヨーコとともにまだ幼い息子のショーンを連れて毎年夏に軽井沢を訪れている。 ジョン・レノンが欲しがったと云われるピアノ。 1976年からの4年間、毎夏万平ホテルで過ごした彼は、「故郷リバプールと雰囲気が似ている」と軽井沢を気に入ったようです。 当ホテルに泊まり、馴染みの店に自転車で通う。そんなゆったりとした軽井沢ステイを楽しんでいたようです。

    2025年08月02日07時29分

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