オズマのつぶやき
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大垣城西側からの撮影です。 誰や知らんけど騎馬像がありました。 Kodak RETINETTE/Rodenstoch Reomar45mm f2.8 AGFA APX400/Rodinal100:1希釈50分途中一回撹拌
komaoyoさんいつもコメントありがとうございます! いつもいつもめんどくさがりがりで 興味がそそらない歴史には調べもせずに適当なキャプションを書いてますが それを以前にもkomaoyoさまが私がやるべきことを調べて解説までして頂き いつもいつも申し訳ございません。 返す言葉もございません。(汗 私は適当に騎馬像といえば定番の楠木正成あたりだろうと思ってましたし 大体楠木正成自体あまり詳しくない大バカ者です。 受験の選択は世界史でしたがそれも67歳目前となった今では 単語は覚えていても殆んど忘れている始末で 日本史は大まかな流れしか知りません。 いつもいつも申し訳ありません。 ありがとうございます。
2025年07月27日10時20分
komaoyo
大垣城の目の前にある大垣公園には、美濃大垣藩初代藩主である戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像があります。この像は、戸田氏鉄が兜と甲冑を身につけ、馬にまたがった勇壮な姿で、大垣城から出陣するような印象を与えます。1994年に建立され、大垣城天守閣と合わせて写真撮影のスポットとして人気があります。 土台の銘板には以下の表記らしいです。 戸田氏鉄公は大垣戸田藩の初代藩主として寛永十二年大垣に転封となり二百三十余年に亘る大垣藩政の基礎を固められました 氏鉄公は幼時より父君近江膳所の藩主一西公の許にあって武勇殊のほか逞ましく成長され、十四才にして徳川家康公に仕えられ関原の役に参戦しては家康公の傍に在って武功をたてられました 父君一西公の跡を受けて近江膳所城主となり、その後摂津尼崎に転封され五万石の城主として治水事業に格別の手腕を発揮されました 美濃大垣十万石の藩守となってからは島原の役への出陣領内の新田開発藩政の基本となる諸法整備に努められ揺るぎない財政基盤を確立領民の生活の安泰を計られました 氏鉄公に始まる戸田十一代の藩政は明治維新の後も郷土大垣の繁栄の糧として脉々として受け継がれ今日の豊かな暮しに息づいております この氏鉄公の偉業を永く後世に伝えて顕彰するとともに豊かな郷土への恩恵に感謝し相計って騎馬銅像を建立するものであります。
2025年07月26日13時49分