写真共有サイトPHOTOHITO人と写真をつなぐ場所

komaoyo komaoyo ファン登録

清和源氏発祥の地「川西市」

清和源氏発祥の地「川西市」

J

    B

    JR川西池田駅前のロータリーにある開祖・源満仲の銅像。 名刀「髭切」と「膝切」で有名な武将「源満仲(みなもとのみつなか)」 馬上で甲冑姿の源満仲の腰にある太刀はどっちか?この時代は馬上での戦いが多く長い刀(太刀)が主流、時代は流れ地上戦に有利な刀が主流に・・・ SONY Cyber-shot DSC-RX100 Vario-Sonnar T* F1.8-4.9/f10.4-37.1mm

    コメント3件

    komaoyo

    komaoyo

    髭切 と 膝丸 六十何日間も鍛えさせて作らせたと言われる2対ワンセットの名刀です。 とはいえ誰の作か、作られた年代、本当に満仲の代に作られたのかと、諸説紛々らしいのですが、どうやら満仲が作らせたのは間違いないらしい。 この刀が完成した時満仲は大いに喜び、試し切りをします。人間を切ったのですが、 二振の内、 一振は「髭を加えて切ってければ」 髭切 と名づけられ後に「鬼切丸(おにきりまる)」 一振は「膝を加えて切りければ」 膝丸 と名づけられた後に「蜘蛛切(くもきり)」 と『源平盛衰記』にあります。 二振の刀の持ち主は満仲から始まり、変遷を経て頼朝の元に戻ります。 多田神社は、清和源氏発祥の地。開祖・源満仲の長男頼光は勅命を受け、金太郎伝説のモデルとなった坂田金時ら四天王を引き連れて京都・大江山の鬼「酒呑童子」を退治したという伝説があり、歌舞伎の演目などでも知られる。 平安時代に鬼の酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐した際に使ったと伝わる源頼光の宝刀「鬼切丸(おにきりまる)」が所蔵されており、姫路城下の甲冑司からの明珍火箸で有名な兵庫県姫路市の刀工・明珍宗裕さんが展示の為の作業を担当した際、専用の工具で柄を外すと、中子にくっきりと「安綱」の刻印が確認できた。  明珍さんは「千年の時間を感じさせないほど、みずみずしさと力強さを感じる」と見入り「美しさや輝きだけでなく、刀の使命が伝わってくる。すごい存在感だ」と絶賛した。 また、大阪の北野天満宮に御神宝として大切に納められ、以後鬼切丸は鎮まり、宝刀として現代へと伝わるものもありますが、真偽は多田神社の方が信憑性が高い。 大覚寺に所蔵されている源氏の重宝「膝丸」との伝承を持つ太刀。付属の『薄緑太刀伝来』記に、源満仲は「鬚切」「膝丸」の二振りの太刀を所持したと記されている。また、源義経が所持した際には、「膝丸」を「薄緑」にしたと記されている。北野天満宮(多田神社)所蔵の「髭切」と同じく、伏さり気味となる小鋒と腰元で反る太刀姿に時代性が感じられる。

    2025年07月26日21時45分

    komaoyo

    komaoyo

    funabitoさんの「相州正宗 中務正宗」にコメント 備忘録 komaoyo 2025年08月22日05時35分 「中務正宗」(なかつかさまさむね)は、徳川四天王のひとりである「本多忠勝」の愛刀で、号の由来は、本多忠勝の官位が中務大輔(なかつかさたいふ)であったため。なお、本多忠勝は桑名藩初代藩主であったことから、「桑名正宗」(くわなまさむね)とも称されます。 本多忠勝は本刀剣を「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)の仲介で購入し、正宗の作と極められたことから、差表の茎に、「正宗 本阿(花押)」と金象嵌銘を入れました。その後、徳川家康に献上され、以降徳川家に伝来。「埋忠銘鑑」によると、1606年(慶長11年)、差裏に、金象嵌銘で「本多中務所持」と施されたとされています。 本刀剣は、鎌倉時代中期に相模国の名工・正宗の手により作刀されました。作者の正宗は、「粟田口吉光」、郷義弘と共に、「天下三作」のひとりに数えられており、「相州伝」と呼ばれる作風を確立させた名工です。正宗の作風は、反りが浅く、身幅が広い太刀姿をしており、刃中に足や葉、金筋などの働きが交じり華やかな様子。本刀剣も、鎬造りで反り浅く、身幅は広く、中鋒/中切先延びごころとなった太刀姿をしており、鍛えは、板目やや肌立ち、地沸が厚く、地景も入り、湯走りがあります。湾れと互の目、小乱れが交じった刃文は、足・葉共にしきりに入って、匂深く、砂流しと金筋がかかって絢爛です。 刀剣ワールドより

    2025年08月22日06時00分

    komaoyo

    komaoyo

    funabitoさんの「大般若長光」にコメント 備忘録 komaoyo 2025年08月22日20時12分 刀剣乱舞にも登場する「大般若長光」 備前長船の刀工・長光(ながみつ)の代表作。室町時代、名刀でも50~100貫(1貫は1,000文)程度とされていた頃、鑑定家の本阿弥家が、この太刀に銭600貫という破格の代付(だいづけ:価格)をしたことから、「大般若波羅蜜多経」(だいはんにゃはらみったきょう)の経典600巻にかけて、この名が付けられました。 元々は足利将軍家の家宝だった刀が、織田信長、徳川家康と天下人の間を渡り、明治維新後は、愛刀家で知られる伊東巳代治(いとうみよじ)伯爵のもとへ。国宝指定を受けて、現在は東京国立博物館の所有となっています。 刀剣ワールドより

    2025年08月22日20時15分

    同じタグが設定されたkomaoyoさんの作品

    • 薬膳カレーセット~立秋・処暑ver.
    • マイナス15℃の朝
    • 新年っぽく
    • 別府鉄道ハフ車両
    • 本年の忘れ物
    • おみくじと絵馬と牛さん

    最近お気に入り登録したユーザー

    写真を削除しようとしています。

    本当に写真を削除しますか?

    こちらのレビューを他のユーザーに公開します。

    レビューを公開しますか?

    コメントを削除しようとしています。

    選択したコメントを削除しますか?

    エラーが発生しました

    エラー内容

    PAGE TOP