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戦後

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    戦後80年 昭和20年各地で空爆の被害でたくさんの命が奪われました合掌。世界の平和を祈るばかりです。

    コメント5件

    カメパパ

    カメパパ

    ①こんにちは。少し語らせてください。カヤッキングアキラさんとご意見が合わなかったらごめんなさい。あくまでも参考にされてください。  日本では、平和への思いは抽象的になりがちだといいます。日本では平和という言葉をよく耳にするわりに平和という状態についてはなかなか議論されていないのが現状です。平和教育の甲斐あってか、平和であることは大事とは考えていたものの、平和であるということがどんな状態なのか、平和であるために「何をすべき」なのか、という話になるとよくわからない人が多いと思います。私もその1人です。深掘りしますが、反対に「戦争はダメ」とは言えるが、自分自身が「戦争のある状態」をどう考えるべきなのかはわからないし、戦争には含まれない暴力や貧富の差、差別などの存在が許せるかというと、まったくそうではない。今まで日本は「平和大国だ」と言われているが、日本は平和ではないと思い始めてきた」と私は思います。「暴力と一言で言っても多様です。身体・言葉の暴力や、貧富の差、偏見。文化的、構造的、直接的な暴力もあります」例えば、女々しいって「女」の漢字を重ねて書きネガティブな意味合いで使われます。こうした私たちが普段、何気なく使っている言葉でも暴力を持ってしまうんです。「平和ってなんだろう?」と私は思います。「学生たちも最初は、戦争がない状態=平和と、みんな同じような答えを言うのですが、『暴力』にはさまざまな形があることを話すと、身近にある暴力をどんどん話してくれます」子どもの頃から経験してきたいじめやシカトも、暴力のひとつ。平和だと思っていても、日常には暴力が散りばめられている。話していくうちに、『日本は平和じゃないじゃん』と考え始める学生がたくさんいるそうです。日本は戦争がないという意味で平和と言われていますが暴力はあります。私たちの日常は、戦争・暴力と平和な状態がマーブル模様のようになっています。この2つは、両極端の存在ではないのです。例えば男女の不平等が根強く残る社会構造も、一つの暴力と言える。昔から女性は男性をサポートし家を守るものとされ、時代を経て昭和、平成になっても、女性の上司は疎まれ、会社での仕事はもっぱらコピーやお茶くみといった状況が続いた。令和になった現在も、※30人以上の企業で課長以上の管理職についている女性の割合は、わずか9.5%にとどまっています。(※令和元年度雇用均等基本調査より)この暴力は徐々に解消されながらも根強く残り、時代をまたいで繰り返されています。「以前は女性に求められた社会的役割からはみ出てはいけないという雰囲気があり、その雰囲気に抗えなかった事情があったことも十分にわかります。でも抗わなかったことで、次の世代に宿題が積み残されてしまうことに、自覚的であるべきだと思うんですよね」社会の宿題をなくし、できるだけ平和である状態にするために、私たちはどうしたらいいのでしょうか。それは「対話をする」ことだと思っています。「ある人にとっての平和は、別の人にとっては地獄だったりするかもしれません。私たちがお互いに感じていることや、抱いている平和像を話し合い、それぞれが求める暮らしや世界についてのビジョンを共有していく。これを止めずに日々積み上げていくことが、平和をつくるということだと思います。

    2025年07月21日22時21分

    カメパパ

    カメパパ

    ② 「例えば、いま社会で起こっている女性やLGBTQ+に関わる差別をなくそうとする動きは、平和をつくる具体的なアクションです。女性が置かれてきた立場がなぜ政治の場でなかなか取り上げられてこなかったのか。なぜ性別が男女二元論になっていて、それ以外の議論がおざなりになってしまっているのか。そこに違和感を感じて声をあげている、言おうとしている若い人たちはとても勇気があると思います」日本人はみんな同じ考えを持っているという思い込みもあるんじゃないかなと思います。少し前の日本では、「単一民族国家」や「1億総中流社会」といった意識が持たれてきた影響もあるのかもしれない。しかし実のところ、日本列島には地方ごとに多様な文化や言葉・表現が息づいていたし、時代を経るごとに社会的立場やルーツ、思想などは多様さを増している。社会が速さを増しながら変化していくなかで、世代間での感じ方や考え方の違いも目立ってきました。にも関わらず、現代でも一人ひとりの考えの違いを受け入れることが少ない。対話の場ももたずに一部の人間の判断だけで物事が進んでいく場面も多い。違う意見があっても言えない雰囲気があるからだろうか。私はいまの日本には現場感があると思います。これから社会がやっていくべきことは、地域や社会的立場、世代など、異なる価値観を持つ人々が「対話」をすること。違和感を覚えたことに声をあげやすい社会の雰囲気や、声をあげた人が守られる仕組みも大切です。 そしてその社会はわたしたち自身がつくるものです。自分と違う考え方や感性、価値観を持つ人と対話をするのは、正直なところ、とてもしんどい。でもそれこそが、平和をつくるための方法で、わたしたちが起こして行くべきアクションだと。「平和=戦争がないこと」ではなく、「平和=あらゆる暴力がないこと」なのだと感じました。いまこそ対話の場を大きく開き、私たち一人ひとりが感じる違和感や苦しみを共有することで、誰にとっても心地よい社会を作ることが大切です。これからの毎日は、地道に自分自身や人が感じる違和感と向き合い、それらを解消する方法を探っていくことを努力しないけません。しかし国防や防衛力強化、憲法を見直すのも大事な事だと私は感じています。今の世界情勢は軍備なくして平和維持は無理な事です。全世界から軍備が消えた時が本当の平和の一歩になるのではと思います。この時期になると考えさせられますね。長文失礼しました。

    2025年07月21日22時16分

    カヤッキングアキラ

    カヤッキングアキラ

    カメパパ様コメントありがとうございます。平和について確り内容を熟読させて頂きました大変参考になりました。早岐帰省の時は是非お会いしたいですね。

    2025年07月21日17時06分

    カメパパ

    カメパパ

    カヤッキングアキラさん おはようございます。長文で失礼致しました。こういうのを見ると語りたくなります。  やはりその時に生きてこられた歴史というものがあるんです。絶対にその時にならないと分からない歴史なんです。戦争で逝った方の遺書や戦わなければ永遠に彼らの支配下にさせられていた。そういう事を思うと涙が出てきてしまうんです。是非、私もカヤッキングアキラさんに会いたいです。こんな私ですが宜しくお願い致します。

    2025年07月23日09時40分

    カヤッキングアキラ

    カヤッキングアキラ

    カメパパさま返信ありがとうございます。実家が佐世保と一緒の軍港 呉海軍工廠の前の島で旧海軍兵学校など至る所に戦争の傷跡・記念碑が有り、小生が通っていた小学校の屋根裏にはグラマンの機銃あとが残っていました。亡くなった母が8月6日が来ると広島にピカドンが落ち白い大きな雲が見えて、それから沢山の人々が無くなった。。。 平和を念う日です。佐世保に原潜が入港したようですね、妻が小学校6年生の時エンタープライズが入港し空母見学その時はじめてペプシコーラ飲んだとの事そして体育館よりまだまだ広い滑走路を覚えている。一言。

    2025年07月23日09時10分

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