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風陵渡黄河大橋の上から見る黄河上流側の光景です。 上流側に霞んで見える橋が鉄道橋で、そのあたりが古代中国から黄河の渡しで有名な風陵渡です。 黄河の流れが比較的緩やかで川幅もそこそこだったのでしょう。 また、この辺りが山西、陝西、河南を結ぶ重要な接点で人の往来も多かったのでしょう。 あの運城の塩湖で取れる塩も、この渡しを通って長安や洛陽に運ばれたそうです。 さて、風陵渡という名、何となく風情がある地名ですね… 続きはコメント欄で…
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風陵渡の“風陵”は古代中国の伝説上の帝王黄帝の賢臣である風后が戦いで亡くなり、そのお墓“風陵”がこの付近にあるのでこの地名になったとのことです。 “渡”は黄河流域最大の渡し場であったことからですね。 さて、もう一つの話題として… この風陵渡を渡った対岸に三国志に出てくる潼関(どうかん)があります。 現在の陝西省の東端にあった関所(関塞)で、黄河の屈曲点に位置し、古来中原(洛陽付近)から関中(長安方面)に入る交通の要衝・軍事の要地として知られる地域でした。 あの曹操が西征で馬超・韓遂ら関西(函谷関または潼関以西の地域)の諸軍閥による連合軍と戦った「潼関の戦い」がこの辺りで繰り広げられました。 この戦いに勝利を収めた曹操は、関中を占領すると漢中および雍州・涼州の支配へと駒を進めていったのです…ね。
2025年07月01日05時10分