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午門を抜けると、またまた立派な門があり、その奥にこのような立派な高い建物が建っていました。 建物は「御書楼(御书楼)」と呼ばれています。 元の名前は二階の天井が八卦で造られたことから「八卦楼」と呼ばれていました。 清の康煕帝が1703年に西へ巡幸をした時にこの関帝廟に寄り、「义炳乾坤」との親筆を残したそうで、後に乾隆帝が祖父の康煕帝の題字を記念する為に、「八卦楼」を「御書楼」に改名したとのことです。