チ ャ ビ ィ
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勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でありました。 20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁・白磁・染付、国産の美濃焼、越前焼など約5万点の陶磁器や、金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
おはようございます! 眼下の平地と海を見下ろす高台からの、眺めは素晴らしいですね 敵の侵入も一目瞭然でわかる高台の山城 しっかりと調べられた歴史 すごく参考になりました 絶景ですね (^^♪
2025年06月25日07時27分
Fur38さん おはようございます 北の大地にこの規模のお城を構えたのは凄いなぁと 景色も綺麗でしたが風が強く吹いていました 風力発電風車が沢山有ったので風が強い地域なのでしょうね ありがとうございます
2025年06月26日06時15分
チ ャ ビ ィ
さらに、近年、調査・研究で明らかになってきた直下の町場の様子と併せて「中世都市」と呼ぶにふさわしい景観が見えてきました。 また、今一つ注目すべきことは、当時アイヌの人々が使っていた500点余りの骨角器が出土していることです。 中世史研究の第一人者故網野善彦氏は「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海』小学館刊)と述べております。
2025年06月26日06時13分