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2005年中国の旅2 解州関帝廟@山西省 運城

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    解州関帝廟に到着しました。 運城の市内中心部から車で約25㎞、解池と言われる塩湖の西端、運城市塩湖区解州鎮に解州関帝廟があります。 関羽はこの近くの常平村出身だそうで、そこにも常平関帝廟がありますが、この解州関帝廟が全世界の関帝廟のおおもと、“関帝祖廟”ということになるそうです。 いや~風格のある廟です… コメント欄に概要を書いておきます。

    コメント1件

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    関羽についてはここで詳しく説明する必要もありませんが、少し… 関羽は孫権に捕らえられ首をはねられ220年に亡くなりますが、その人並み外れた武勇や義理を重んじた彼は同時代の多くの人から称賛され、更には後世の歴代王朝に神格化され関帝となりました。 その関羽を祀った祠が関帝廟の始まりとなり、中国国内はもとより中華文化の海外への拡散とともに、世界へも広がっていきました。 先にも紹介したように、関羽は解州常平、今の運城市常平村の出身ということで、常平村に隋唐代の581年から907年にかけて常平関帝廟が創建されています。 そこは関羽の祖先も祀っている家廟だそうです。 一方、今回訪れた解州関帝廟は聖帝の廟ということになります。 ここは隋代の589年から建築が始まり、その後も増築と再建を重ねて、内外に数多くある関帝廟の中でも規模が最大で最も完全な形で残った関帝廟だそうで、解州関帝廟は「関帝祖廟」とか「武廟の冠」と称されているそうです。 常平関帝廟と解州関帝廟は約10㎞ほど離れています。 なお、先にも記していると思いますが、関羽は斬首された後、体は孫権によって今の湖北省当陽市にある当陽関陵に葬られ、首は曹操に贈られて曹操が河南省洛陽市にある関林廟に葬りました。 当時は三国時代の覇権争いの真っ最中…魏の曹操、呉の孫権、そして関羽の主君蜀の劉備がバチバチやっている最中です。 孫権と曹操のやりとり、主君劉備の無念とその後の動き…三国志の大きな山場の一つになっていますね。 おっと、ついつい関羽となると三国志の話になってしまいますが、ここは浅学のσ(^_^)が語るところではないので、関帝廟観光に戻ります(^^ゞ ちなみに…関羽が活躍していた頃の日本は…弥生時代…卑弥呼の時代です。 そう、三国志に記されている魏志倭人伝ですね…

    2025年06月17日05時36分

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