yoshi.s
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一ノ鳥居を潜って神域に。 富士山を霊山として信仰することは昔から行われていたが、それがムーブメントとして組織化されていったのは、江戸の人々の間でであった。江戸の人々はいくつものグループを作って、それぞれに富士山を神として信仰した。これを富士講という。彼らは講の仲間と共に、富士山参りを行った。 江戸中期には、富士講は一種のブーム状態になり、江戸のみならず関東一円にも広がったそうだ。今でも都内だけで数十の富士講が活動しているそうだ。 *下につづく
頭を雲の上に出し♪~~の通り、どっしりと神々しい富士山を目の前にこの道路の静けさ。 土曜日というのに信じられません。最高の日にここに来られたこと幸せでした。 いつもは大混雑の道路です(≧▽≦) こうした瞬間を狙って撮って下さったと思います。 御師の家はこの道路沿いにもありました。古くは鎌倉時代から富士登山の人々のお宿として また安全を祈願し旅人を導きお守りしてきた重要なお役目なのですね。
2025年06月08日12時30分
michyさん ほんとですねえ。 土曜日の昼過ぎ。観光客で溢れかえっているはずの道々は、むしろ閑散としていました。 雨の週末という天気予報が、われわれには幸いしましたね。思いもかけずの曇り時々晴れの空。富士の恵あり。 この画は、街路灯の並びが美しかったので、富士の前景にしようとしたものです。
2025年06月08日12時44分
yoshi.s
*上からのつづき この江戸からやって来る人たちにとって富士の北側(現在の富士吉田市)は、富士山への入り口となった。それでこの地域を北口と言う。 講の人たちの増加に応じて、この北口には彼らを泊める宿が増えていった。そしてその宿には、昔から富士登山の心得や、富士信仰の教義などを説き、登山の案内をする人がいた。これを御師(おし)と言う。文字どおり富士参りの先生だ。だから宿と御師は一体だ。 この画の左の方に北口御師大国屋の看板があるが、今でも現役の御師のいる宿屋なのだろう。
2025年06月08日12時39分