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宛平城側から歩いてきて見えるのが先に紹介した乾隆帝の七言律詩が彫られた面でしたが、橋側から見るとご覧のように「盧溝暁月」と大きく彫られた面になっています。 この文字は乾隆帝の直筆だそうです。 乾隆帝は金王朝の時に挙げられた燕京(北京)八景を訪れ、こういった石碑を残していっているそうで、その燕京(北京)八景の一つである盧溝橋の袂にこの「盧溝暁月」石碑が残っているのです。 なお、「燕京」とは金王朝の都で今の北京にあたります。
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そうです、この「盧溝暁月」が超有名で、かつ燕京(北京)八景の一つの「盧溝橋」の付近で日中戦争の発端が起きたので「盧溝橋事件」という名で歴史に刻まれたのでした… しかし、改めて当時の日中並びに欧米諸国の軍の駐屯状況の資料を見ると… 緩衝地帯である北京(当時は北平)南西部郊外の「盧溝橋」の地は、微妙で重要な位置にあることが素人でも理解できるところでした。
2025年06月04日06時30分