borotto60
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以前から気になっていた場所 そこに入り散策するとこの像が 何を模しているのだろう 立札に何某らが書いてあったが興味なし 見た者がどう感じるかにそれは不要だから 続きはコメントで
竜の台座に見事な石像??ですね羽衣とかどうやって作ったのか?? とか考えちゃいました(#^^#) 「慈愛」...無条件の愛情やはり母親を想像しますね! 得意料理って何度も食べてるし見てるので何となく寄せる事は出来ますが なにかが抜けてるんですよね...それが良く言う「愛情」と言う名の調味料なのかな?? ※今では僕も台所に立って母と一緒に料理する事が多くなりました基本マンネリ で低カロリーなのでバリエーションをと思ってやっているのですが..... 父には「不味い」と食べて貰えません(無念)機嫌を損ねるとご飯と梅干しか食べない 父親...医者には栄養失調気味との事で色々努力はしているのですが(;´Д`A ``` 話しそれてゴメンナサイ...っと思ったがこれも子が親に対しての「慈愛」なのかな?
2025年05月13日00時25分
ふふふ^ ^ お2人、兄弟みたいです。 それにしても、本当に見事な像ですね。 自然と手を合わせたくなるような… 奏でる音も、慈愛に満ちていそうです♪ ハードロックや、ヘビメタかも知れないけど^ ^ 母の味。。。 語らせてくだされ〜 私の場合、糠漬けなんです。 めちゃくちゃ、美味しかったのですよ♪ 糠床から糠を分けて貰ったけど…どうもあの母の味にならない。 う〜ん。かなり年季が必要かも。 冬場は大変だったろうに、家族の為に漬けてくれてました。 これも「慈愛」なんでしょうね。 デニーちゃん、母上と一緒に料理するなんてステキ! うん。慈愛だと思います(*^ー゚)b クッ゙
2025年05月13日10時21分
キーンとした空気感が とっても厳か… 京都で ずーと北にある上賀茂神社でも ガラスのようなキーンとした ”気”が漂ってました~~ 人間の間で 慈愛って言えるものがあるのか ないのか…? エゴの延長であったり…? 現実で 慈愛があるならば 大仏様 観音様 神社 お寺は もう存在しないんではないかとも…? ごめんなさい… 私はいっつも後片付けをしないぶっ壊し屋で…
2025年05月13日19時22分
こんばんは☆彡.。 こちらの写真 なんでしょう…何か感じるんですよね 何?と聞かれても答えられないのですが… 怖いとか嫌な気持ちとかでは無いのです 心が研ぎ澄まされていく…に近いかもです!! ぁ…慈愛ですね♡ 母親の作ってくれた毎日のお弁当が 本当に彩り鮮やかで丁寧に作ってくれて クラスでもわたしのお弁当は 評判良かったのです~(๑´ლ`๑)フフ 毎朝早く起きて作ってくれたことに 感謝しかありません(*˘˘*)✨
2025年05月13日22時07分
>De.204さん 無条件の愛というと矢張り母となりますね~ 母のおなかの中に一年近く共にして、体を痛めてこの世に誕生させるわけですから、矢張り母にはかないませんですよね 料理も長年母の料理を食べて成長するわけで、味は置いといても・・・という感じでしょう De.204さんも台所に立つのを許されたんですね(笑 それにしてもお父さんは頑固ですね^^; それなりの歳を取れば角が取れて来るとは思うのですが、お父さんの場合は心がステンレスのように固いのでしょうねw 母の味も、そのお父さんの頑固さも、いなくなってからその存在に改めて気付くと思いますよ De.204さんのお母さんは77との事 私の母の介護が始まったのが78の時ですから、大切にしてやってくださいよ^^ >パンケーキさん 兄弟・・・う~ん・・・De.204さんを弟に持つと大変そうだw パンケーキさんが長女だったら少しは違うようにも思うのですが(笑 糠漬けはホントその家庭の味が出ますよね 手間を長年かければかけるほど美味しくなりますからね そこに母の愛が加われば更に美味しくなるのは確定ですね^^ 母の作ったおにぎり一つでも塩加減が絶妙で真似することが出来ませんし^^; De.204さんはお母さんと台所に立つ時間が出来て良かったですよね~ そういう時間はなかなか作れませんし、お母さんはDe.204さん以上に楽しいのだろうなと思います^^ >shirokediさん 私は無心教なのでどんなに偉大だとして、どんなに美しい像だとしても手を合わせる気持ちにはならないでしょうね 超現実的というか、現実を生き抜くことがどれだけ大変かという感じ 何かにすがろうとするの逃げだとも思ったりします そういう仲での両親の存在のみが神に近いものなのかなとも思います 神というと大げさで、いなくなっても何か心の隅に存在を感じるという感じですが 人間のエゴと言えば何でも片付けられますが、実際にそういう事だと思います 人間は知恵を持ってからエゴと常に共同体ですからね そこら辺も現実的だな~^^; >moneさん その土地にある神聖さというのは必ずあると思います 例えば巨大な老木が存在したり、木々が生い茂ったり、そこから見える風景が偉大だったり美しかったり 自然の作り出すそういうものには何某らの力が働いているのではと ですがその場所に人の力で何某らの物を置いた瞬間に覚めてしまう 私はそういう感じです 沖縄の孤島の聖域に行ったことがあるのですが、鬱蒼と茂る木々の中の中心にポツンと小さく素朴な社があり、そういうものが本来あるべきものではないかとも思うんです 母の慈愛とはある意味そういうもので、自然に生きていく中でチョットした些細な中にさりげなく存在するとも思います 私の母は料理は苦手でお弁当もこれ何??という感じでクラスの人に見られたくなかったという思い出があります まぁ、それが私の生きた時代という感じもするのですが、まだ苦労を知らない時期はそうなっちゃいますよね^^;
2025年05月19日06時41分
borotto60
慈愛・・・ 時刻のせいと人気のないこの場所でチョッと深々と考える自分がいた 慈愛・・・ この像が奏でる弦の音はどんな音だろうと もしかしたらロックかもしれないw それもそれ 母の作ったみそ汁の味 母の作った稲荷ずしの味 母の味と言うものは引き継がれるものであり記憶に残る それを誰かに再現してくれとは言ったことがないが 自分でその味を再現しようとしたりはする 再現できない・・・と言うか再現できている 何かが違うのであろう それが「慈愛」なのだろうなと何気に思ったりした それが「何?」 特に何という訳でもなく、その時にふと思っただけで 一瞬で現実に戻っただけの事 ただそれだけ
2025年05月12日23時30分