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佐世保撮影旅シリーズ。 前作の旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の三本の無線塔の中心にある電信室跡。 奥に見えているのは最も東に位置する2号無線塔です。 内部にあったであろう整流器などは撤去されていましたが外観は当時のままの姿を残していました。 詳しい説明は一緒に旅し、案内していただいた地元のカメパパさんの投稿に記されています。 https://photohito.com/photo/12970611/ ※フィルムシミュレーション:クラシッククローム
こんにちは。 残っていると言うか残している事が凄いですね。 長崎県は広島県とともに心に大きな傷跡を残した場所なので 決して忘れる事なく遺産として語り継いで欲しいですね。
2025年05月08日17時48分
HAMAHITOさん こんにちは。ありがとうございます。 私の場合、モノクロかカラーかというのは感覚的ではなくかなりシビアに考えておりまして、前作はカラーに意味がないのでモノクロ、本作は錆びや色の変化というのが古さを出すポイントで、加えて青空を入れて現在は平和であるというストーリーを組んだためカラーとしています。 しかし色が出すぎると違和感があるので彩度を少し下げてコントラストをやや高めにという表現にしています。
2025年05月08日18時04分
1197さん こんにちは。ありがとうございます。 おっしゃる通り、先人の知恵や経験の上に我々がいますので、将来、我々がまたその先人になれると良いと思う日々です。
2025年05月08日18時05分
ぶっちゃんさん こんにちは。ありがとうございます。 外観は修復などされておらず当時の姿のまま「残っている」ように見えました。内部は修復や補強しながら「残している」ようです。 ここは無線塔とともに残してほしい場所ですね。国の重要文化財にもなったようですのでしっかりと保存活動がなされていくと思います。
2025年05月08日18時40分
Fur38さん こんばんは。ありがとうございます。 約100年前にできたものです。遺跡や史跡とするとかなり古いものになるので、タイトルは古跡と表現を緩めています。 当時の技術を結集して作られたものだと思います。 写真の原点は記録ですので、これは2025年時点での記録。100年後に価値ある記録の一つとなればよいのですが。
2025年05月08日18時44分
こんばんは! ここまで寄ると古さが如実にわかりますね。 歴史的遺産として後世に残してほしいものだと思います。 長い歴史から見れば僅か100年ですが、生きている人から見るととても長い時間ですね。 塔の配置、建物の配置がとても良いと思います。 モノクロでなく青空の下にこのような遺跡を表現したのも、前作と又違って良いですね。
2025年05月08日21時01分
Baru(バル)さん こんばんは。ありがとうございます。 100年はとても長い時間だと思います。そのうちの63年は激動の昭和です。これは残すべき施設だと感じました。 過去にはいろいろあったけれど今は平和になっている(少なくとも日本は)様子を出したくて、それを青空で表現してみました。
2025年05月08日21時07分
こんばんは。 昨日の投稿された画から、ここの風景を見てみたいと思ってましたので、今日投稿して頂いて嬉しいです。 壁は煉瓦などかなと思っていましたが、石造りですねー。送信機電源室って記載されてますね。 歴史的な遺産をリアルに描写されてます。見たいし撮影したくなる建造物ですね。 宜しくお願い致します。
2025年05月08日21時22分
TU旭区さん こんばんは。ありがとうございます。 投稿した甲斐がありました。 石造りなんです。重要な施設故それなりに強靭な造りになっているのでしょうね。 一部中を見ることができましたが、整流器室と書かれた部屋があり、当時は電源関係部品や配線で溢れていたのでしょう。 歴史といっても様々なな年代がありますが十分に歴史を感じられる場所でした。なかなか行ける場所ではないので有意義な旅となりました。
2025年05月08日23時07分
こんばんは。 「通信機電源室」という表示、電源ラインのガイシが当時の機能を物語っていますね。高いアンテナとの関係性も示唆された構図が流石だと感じました。良くみたら右側建物下部にアーチ状の石組みがあり、左側も不自然に階段で上がる構造で、かつては下にも何かあったのでしょうか。 いずれにしても日本近代史の物言わぬ語り部として、これからも残ることを願います。
2025年05月08日23時08分
またろう@お気楽撮影人さん こんばんは。ありがとうございます。 碍子とアーチ状の石組に気づかれたということは拡大して見ていただいたのですね。 無線塔とセットの設備ですので上手く収まる構図を探してみました。 現地での説明文によると半地下構造になっているようです。地下を見ることはできませんでしたが冷却用の設備か防空壕的な造りか何か理由があったのだと思います。もう少し時間を使って見学したかったのですが昼食の予約があったので少し残念でした。 国の重要文化財になったようなのでこれからも歴史を語っていってくれることと思います。
2025年05月08日23時22分
こんにちは。 遺構といった古びた感じの佇まいが時代を感じさせますね(*^-^*) ここから、背景の2号無線塔も見えているんですね。 長崎に行くなら、平和公園には行こうと思います。 子供の楽しめる所(ペンギン水族館など)も行ってあげないといけませんが、 旧佐世保無線電信所、時間が許せば立ち寄りたいですね。 ハウステンボスも歴史を考えると別の意味で興味深いことを教えて頂き、 ありがとうございます。
2025年05月09日12時16分
自然堂哲さん こんにちは。ありがとうございます。 電信室と無線塔を入れたくてこの構図に行きつきました。 観光としては長崎市の方が有名どころは多いですね。お子さんも満足感は大きいと思います。 一方、佐世保はハウステンボスが有名ですが戦争遺産といった少し地味ですが歴史を感じられる場所は佐世保には多いですね。表面上だけの戦争の歴史ではなく、実物を見ることでお子さんの勉強もなるかもしれません。
2025年05月09日14時50分
私はこのような戦争当時の遺跡や名残を見るたびに、当時の人はどんな思いでここにいたのだろうと思ってしまいます 戦争だから仕方がないでは済まされない人々の思いが詰まっているような気がして、胸が詰まる思いです もちろん、私は戦争を知らない年代ですが、当時の若者が命を懸けた場所なんですね
2025年05月09日20時16分
こぼうしさん こんばんは。ありがとうございます。 祖父の残した手記を改めて読み返してみると、二度出兵しており一度目は独身で若い頃、国のためと誇りをもって出発したと。しかし二度目は家族ができてもう二度と生きて帰れないだろうと覚悟を決めて涙ながらに出発したようです。 フィリピンでの苛烈な日々、次々に命を落す仲間達、自身も銃弾を受けかろうじて命があったこと。そして戦後数年して佐世保に引き揚げられ故郷の兵庫県まで帰ってきたことが書かれてありました。 外地でも内地でも若者が国のためと命を懸けた時代でなんですね。 だからこそ、二度とこのようなことを起こさないために、我々世代が語り次いで後世に残していかないといけないと感じる場所でした。
2025年05月09日20時41分
こんにちわ 関東で見る戦争遺構とはまた 違った趣がありますね 壁から突き出した鉄柱が目をひきます 外壁の素材なども石垣のように なっておりますね。 奥に見える換気口は後から付いたもの でしょうか、建物の内も見学会などを されているのなら見てみたいです。 現地に触れて感じられる空気感も あることでしょう。
2025年05月10日11時24分
hatapooonさん こんにちは。ありがとうございます。 潮風が当たりやすい場所なので、沖縄の建築に通じるような石組みの構造でした。作られたのは大正末期ですので物資も不足していない時代で作りもしっかりしています。 壁から出ているトラス状のものは何だろうと見てみたのですが結局わからなかったです。恐らくはたくさんの電線が敷かれていたのだと思います。 喚起フードは明らかに後に付けられたものですね。 内部は一部しか見学できなかったのですが、機器類は何一つ残っておらず空間が存在するだけでした。
2025年05月10日11時46分
HAMAHITO
こんにちは 思わずモノクロで撮りたくなる衝動に駆られますが、 淡いトーンで色を残すことで古い建造物の存在がリアルに感じられますね。
2025年05月08日17時11分