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佐世保撮影旅シリーズ。 旧佐世保無線電信所(針尾送信所)を新西海橋から撮影。 太平洋戦争の開戦を告げる真珠湾攻撃の暗号を送信したとされていますが実際には不明。しかし、戦争中には重要な通信施設だったようで昭和の遺産です。 無線塔は高さ136mの煙突構造、各300mの間隔で正三角形に配置されています。 モノクロフィルムっぽく、大判カメラを意識してアスペクト比は4:5にしました。 ※Silver Efex Proによるモノクロ現像
こんにちは。 昭和の負の遺産の一つなんでしょうね。 しっかり語り継いで欲しいものですが、語部も少なくなった昨今平和ボケで 誰も知らなくなるのは切ないですね。 当時を彷彿させるような仕上げが素晴らしいですね。
2025年05月07日17時42分
大正時代から下から同じ高さで継ぎ足し継ぎ足し上に伸ばしていったコンクリート造りの電波発送受信用正三角形の電線と中心から下へ下ろした電線で遠くまで届く周波数の大きな波になる様に高さを決めたようですね。 戦後は海上保安庁が管理していたようです。
2025年05月07日17時47分
こんばんは。 見るからに大きな人工物ですが、恥ずかしながら初めて知りました。136mとは凄いですねー。潮風にコンクリートが耐えて今迄遺産として残ってるのですね。管理も結構大変そうに思えます。 ところで海面の波をモノクロがいい雰囲気出してますね(^^) こんな感じになるのですねー。 宜しくお願い致します。
2025年05月07日17時55分
kei2021さん こんばんは。ありがとうございます。 潮風の影響を考慮して鉄筋コンクリート構造となったようです。それ故に煙突のような形ですね。 内部も見学しましたがまさしく煙突状でした。
2025年05月07日18時27分
ぶっちゃんさん こんばんは。ありがとうございます。 おっしゃる通り負の遺産です。ですが、それらを残すことで二度と同じ過ちを犯さないように語り継ぐことも大切ですね。 現役時代の雄姿(語弊がありますが当時の人々を尊重して)を感じる仕上げにしてみました。
2025年05月07日18時30分
komaoyoさん こんばんは。ありがとうございます。 おっしゃる通り、大正時代に完成し最も使用されたのは太平洋戦争前後の長波が必要とされた時代ですね。高さなどもそれに対応する設計だったようです。 実際の戦争中には中短波が主だったと聞きますので活躍の場は徐々に減っていったように思います。 この構造物の本当の凄みは基礎にあり、たった6mの基礎で100年以上も維持されていることです。当時の資料や論文も読んで勉強してみて驚きました。ただ残念なことにその現場は見学できませんでした。
2025年05月07日18時57分
こんばんは! 無線送信所のアンテナですか。 昔ですが当初勤めた会社は、国際通信を行う会社で送信所でした。(かなり早くやめましたが・・・) その頃のアンテナは鉄塔だったのですが、このような無線塔があったのですね。 まさしく昭和の遺産ですね。 モノクロにしたことで、遺産ということがより説明されているように思います。 船が海面をこちらに向かってきているのが良いですね。 まるで昭和から令和に向かってきているようです。(勝手な想像ですが・・・)
2025年05月07日18時55分
TU旭区さん こんばんは。ありがとうございます。 高校の歴史で出てきたような気がしますが長年忘れていました。一昨年に基礎の調査が話題になり個人的に調べていて、実際に見てみたいと思っていました。 通常であれば鉄塔になるのだと思いますが、ここは潮風が強いので耐久性を考え鉄筋コンクリートになったようです。 また、ここの海はここは日本三大急潮にも数えられるほど潮の流れが速いのでモノクロで撮ると海面の様子がよくわかり面白いですね。
2025年05月07日19時03分
Baru(バル)さん こんばんは。ありがとうございます。 潮風に耐えられるように鉄筋コンクリートになったようです。鉄塔ですとここまで持たなかったでしょうね。 また、たった6mの基礎で100年以上も維持しているようです。 戦争に使われたものですが、この建築技術は現代にも生きているのではないかと思います。 タイトルと描写を合わせるためモノクロフィルム調に仕上げてみました。 なるほど、ボートは昭和から令和ですか。色々と想像いただけることは嬉しいことで視点が勉強になりました。
2025年05月07日19時08分
こんにちは。 このような通信施設が今も残っているんですね。 これは興味深いモノを見せて頂きました(^^♪ 少しだけ調べました。造られて100年以上(上記コメントのお返事に書かれてますね)、 総工費155万円(←少し笑いました)現在の250億円を掛けて造られたそうですね。 太平洋戦争の始まりをここから告げられた事(実際は不明のようですが)を思うと 感慨深いものがありますね。 佐世保に行くとしたらハウステンボスかなと思いましたが、此方は興味深いモノを 拝見できました。ありがとうございます。 モノクロ表現で、昭和の遺産という雰囲気が伝わってくる作品、素敵です(*^-^*)
2025年05月07日19時55分
自然堂哲さん こんばんは。ありがとうございます。 ここは実際に通信室や無線塔内部の見学にも行きました。そうなんです155万円なんです。当時からの物価上昇を感じますね。さらにここ1年の物価上昇率を考えるともっと高額になりそうですね。 佐世保と言えばハウステンボスですが、その場所は戦争終了後の引き揚げられた兵士たちの一時収容所だったそうです。 旅は思い出や作品作りだけでなく、歴史など実際にその場所に行ってみないとわからないことを知る良い機会ですね。 当時の資料のようなイメージでモノクロで仕上げてみました。
2025年05月07日20時02分
今でもこのようなものが残っているのですね 各地に大戦時代の遺跡のようなものが残っていますが、それらを目にするたびに、この時代にこれだけのものを作る技術力があったのかと驚かされます 新しいものを生み出すのは今の時代も楽ではありませんが、当時は並大抵の苦労ではなかったと思います 私は仕事をしながらよく思います、あの当時に何故あれだけの素晴らしいものが生み出されたのかと 戦争を肯定しているわけではなく、それを生み出した当時の技術者には逆立ちをしてもかなわないと思います
2025年05月07日21時21分
こんばんは。 真珠湾攻撃の暗号を送信したかも知れない通信施設ですか。 そのような物が残っているのですね!歴史が好きな私には興味深い1枚です。 モノクロームでの映像が歴史的価値のある建造物にぴったりです。 ありがとうございました。
2025年05月07日21時28分
こぼうしさん こんばんは。ありがとうございます。 戦争を肯定するわけにはいかないのですが、やはりそれがモチベーションになったことは間違いないと思います。 この施設に関する資料や論文を予め読んで勉強しておいたのですが、驚くべき技術と熱意を感じました。 私も一研究者として先人の資料などを読み返すとよく考えられているなと感じることが多いです。しかし負けてはいられません。先輩方に対抗するのではなく、世の中にないものを作り出し世界をより良くする気持ちで頑張りたいと思います。
2025年05月07日21時52分
PEGA*さん こんばんは。ありがとうございます。 実際には別の送信所ではないかという説が有力ですが少なくとも戦争中に活躍(あまり良い言葉ではありませんが)したことは間違いないでしょう。 その当時の姿をと思いモノクロフィルム調にしてみました。 歴史がお好きなのですね。カメラを含め古いもの、古い出来事には興味が湧きますね。
2025年05月07日21時56分
カメパパさん こんばんは。ありがとうございます。 やっぱりこれはモノクロですよね。先手必勝!! ここはコダックのハーフでもよかったかもしれませんね。でも撮ってなかったと思います。
2025年05月07日23時40分
おはようございます。 見応えのある作品ですね、海岸線の影が暗く横切り、時代を二分しているように感じました。今にあってもアンテナ付近は上陸や近付くことさえ許さない様な威容さがありますね。粒状感、コントラストなども有り、戦後日本を振り返るルポルタージュ誌面を想像しました。 恥ずかしながら「針尾送信所」初めて知りました。(忘れているだけかも) 電波が利用出来るかどうかで優劣が決すると判断し建てられたのでしょう、先人たちの遺したものは使い方は間違いだったとしても、技術屋(技術者より守備範囲が広い)としての知恵、気概、実力を感じました。
2025年05月08日06時59分
またろう@お気楽撮影人さん こんにちは。ありがとうございます。 当時の資料のようなイメージで仕上げてみました。 ここは実際に見学ができます。内部もみて実際に使われた無線室は本日投稿します。 Baru(バル)さんも同様に感じていただいたようで、後で見返してみると奥は昭和の遺産、手前は平和になった現在というようにもみえますね。 当初の目的は別にして、このときの技術が今の生活を豊かにしていることは確かで先人の知恵と情熱に驚きます。
2025年05月08日12時44分
信濃のサンデーカメラマンさん こんにちは。ありがとうございます。 当時の資料を意識したような仕上げにしてみました。 パンフレットなどでは横位置で撮られているので私は縦位置にしてみました。
2025年05月08日16時59分
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こんにちは、珍しい産業遺産でね。日本の昔を感じさせる珍しい作品を見せて頂きありがとうございます。
2025年05月07日17時19分