オズマのつぶやき
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賢治は早朝岩村駅ホームの待合に母・幸子と座っていた。 床には古いボストンバッグが置かれ地元学校の詰襟と制帽を被っている。 岩村の三月下旬はまだまだ寒く待合の窓の向こうには小雪がちらほらと舞っていた。 多分朝雪だろう。 彼は希望する東京の大学へ進学が決まり入学式数日前の今朝上京することとなった。 MAMIYA C220/MAMIYA SEKOR180mmf4.5/Y2フィルター Kentmere400/Fujiミクロファイン
オズマのつぶやき
幼い頃に父を亡くしていたので特別裕福ではなく幸子は朝から晩まで働き そして一人息子である賢治を女手一つで育てた。 またそれが彼女の生きがいでもあった。 仕事と言ってもこの辺りでは野良仕事の手伝いや夜は旧街道の小さな居酒屋での女給などをするしかない。 時折酔っぱらった客に幸子は 「あかぎれだらけの荒れた手で酌されても美味かねぇぞ!」なんてからかわれた。 そんなときも笑って受け流す幸子だった。 幸子は片親だからと賢治には人に引け目を感じさせたくない 劣等感を持って育ってほしくないという強い思いがあった。 彼女にとっては賢治は自分の人生の証しのように感じていた。 賢治には将来建築設計士になりたいと夢があった。 学業は優秀でそれは亡くなった父親譲りなのだろう。 ただ賢治は父親のような人間にはなりたくはなかった。 売れない小説家くずれの地方紙の小さなコラムを任されたりと 不安定な収入で母の苦労を見ていたからだ。 大學受験がはじまり東京の公立大学の建築学科を受験し合格した。 賢治の胸は未来へ向かって膨らむばかりであった。 幸い公立大学で授業料は安いものの賢治のアルバイトだけでは 下宿代は賄えないので仕送りも多少必要だ。 幸子にとって仕送りの金額より賢治が離れていくことの方が寂しくて堪らない。 でも、息子の将来を考えると口が裂けてそんなことは言えないと我慢をしていた。 「賢治、東京までの道中長いから電車ん中で腹へったらこれ食べな お前の好きな鮭と昆布のおにぎり握ってきたから」 と幸子はビニールの買い物袋のようなものを賢治に差しだした。 「かぁ~ちゃん、これ広げて電車で食うのか?ちょっとはずかしいやろ。 そんなもんいらんわ!」と賢治は少し苦笑いで返した。 「なにいうとるの!贅沢はできん立場でしょうが。」 「はいはいわかったき」 幸子はニコッとわらってお握りの買い物袋を突き出した。 「あ、電車が来たわ」と賢治が呟いた。 明知から恵那駅へ向かって朝雪の中をゆっくりと車両がホームへ入ってきた。 「それじゃかぁ~ちゃん元気でな、無理せんで…」 「賢治が東京行ったら無理せないかんがね(笑 それより体だけ気い付けてなんかあったらすぐ連絡してこないかんよ」 「おぉ!小遣い無くなったら連絡するわ(笑」 「ばかもん!(笑 じゃ、ほんと東京は怖いところだで気いつけてな…」 岩村駅から車両が見えなくなるまで幸子はホームに立っていた。 息子の前では決して見せなかった涙が頬をつたっていた。 さて、もう一方の賢治はというと JR中央本線から名古屋駅から東海道へ乗換浜名湖辺りまで来ると流石に腹が減り 海の車窓を見ながら幸子が握ってくれたお握りを一口かじった。 やっぱかぁ~ちゃんの握ったお握り美味しいなぁ。 そして無性に食べ続けていると涙が滲んできた。 東京駅に着いたらかぁ~ちゃんに電話かけよう… 母親と息子ってどこでもこんな関係なのでしょうね。
2025年03月30日17時55分