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賓陽三洞の南(奥)側の石窟は賓陽南洞というそうです。 ここは北魏の7代皇帝・宣武帝のための洞で、概ね500~512年頃から工事が始まっているようですが、ここは北魏の時代の方針転換による鞏義石窟寺(洛陽と鄭州の間)の第1窟造営工事への傾注により、 工事は中断され、唐の時代になって当時の魏王・李泰 (618~652)が、母の長孫皇后 (601~636) の冥福を祈るためという理由で賓陽南洞を修復し完成させた、とのことです。